ある通訳案内士の休憩時間 第四回 地中海に浮かぶ島、マルタ
(この記事は姫路城の外国語ガイドが、インバウンド観光客に対して使えるネタや語学の勉強についておもしろおかしく書いているものですが、設定が分からないと訳が分からない内容になりますので、まず最初に第一回を読んでいただけると、それ以外の回をスムーズに楽しめるようになっています)
世界遺産であり国宝である姫路城を作った池田輝政は、今日も自身の居住していた天守閣直下、備前丸の、今日公衆トイレになっている辺りの石垣に座って、訪問客の過ぎ去っていくのを見ている。
彼は400年前に生存していた歴史上の人物。死んでから後、魂の行く先にもこの世と同じ行政的な手続きがあるらしいのだが、我々の想像の通り、スムーズな手続きで次のステージに行くことができない、つまり未練や後悔、その他理由のある者は、この世にとどまることもしばしばあるようだ。
そしてこれもまた想像に難くないことで、今の世の住人がたまたまこのような故人と現空間でコミュニケーションをとれることがやはりあるようだ。現在姫路城で外国語ボランティアをしている男がまさにそれで、多くのスタッフや観光客が、この男が備前丸において独り言をしているのを目にしている。
このような建築物を作った男である。自らの功績に不満はないが、最大の作品である姫路城がその後それぞれの時代でどういう役割を果たしていくのか、それを知りたくていまだにここにいるようだ。つまりは好奇心が強すぎるということである。ガイドの香川は言う。彼に成仏ができていないというのは間違いで、いわばその知りたいという強すぎる欲求から、より積極的にこの場に留まり続けているといった方が正しい。彼はまだエーテル体(意味不明)としても何か作品を作ろうとしているかのような意気込みで僕の話を聞く、と。
この日、池田輝政とガイドが話していたのはマルタという国についてである。地中海に浮かぶ小さな島国、マルタ共和国。ガイドは池田氏にグーグルマップで位置を示そうとしたが、ガイドでさえ探すのに手間取るほど日本人にはなじみのない立地である。イタリアのブーツのつま先の先がシチリア島であるが、そのシチリアからまっすぐアフリカ側に行くと浮かぶ島がそれである。
ガイドは池田氏に語る。「僕は何か勘違いをしていて、マルタには王様がいると思ってたんですね。(後で聞くとルクセンブルグとの取り違えとのこと)それでうかがうと、王様とかそんなのはいない。首相と大統領がいて、首相により強いリーダーシップがある、とのことです」
マルタは1964年にイギリスから独立。その後もエリザベス女王を君主とする君主制を続けていたが、1974年には君主制も廃止、よってマルタ共和国、英語ではRepublic of Maltaである。ガイドがこの間聞き慣れなかった単語として「monarchy」(君主制)があったが、この英単語は「ひとつ」を表すmonoと「主たる」「君主」を表すarchで構成された語である。よって直訳的には独裁君主制を意味する語である。ちなみに-archyとなれば「政体」と表すようになる。
ガイドはこのモナーキーという、おそらくアナーキーからの連想からであろう、物々しい音とスペリングの雰囲気にひっかかり、「それでは1974年まではイギリス王が統治していたのか」と尋ねたがそれは愚問であり、今日のイギリス、そして今日の日本と同様、王(天皇)は国民の象徴である。いわゆる君臨すれども統治せずというそれ。
語源archについては、語源辞典ではまず代表として「architect」(建築家)が例出されている。もともとは大工の棟梁みたいな出発のようである。tectの方も実はおなじみで、texture、textile、techinicなど物作りに関係する語根であるのだが、ここでは多くを触れないでおこう。
archのさらなる例として、archipelago「群島、列島」がある。日本列島をthe Japanese Archipelagoというので知っている読者もいようが、元々は「主たる海(ペラゴの部分は海の意)」でエーゲ海を指す単語だったのが、群島を指す言葉になった。ガイドが言うには、似たような語根にarch「アーチ」があり、日本列島が弓なり形をしているからそのように言うのだとずっと思っていたと。でもそれは誤り。
もう一つ興味深いものに、archive「アーカイブ」がある。これは記録を保管する集積所ということで主たる建物を表していたようだ。
よく似た語根にarchae「原~」があるが、これはarchaic「古風な」(アルカイックスマイル)、archaeology「考古学」がある。ガイドは欧米のarchaeologists(考古学者)にも出会うことがあるが、職業名を聞くだけでも大変なのに、その内容などほとんど理解できないにもかかわらず、勇敢にも内容を教えてくれと尋ねる傾向がある。彼らも日本に来て発話の機会が乏しいのか、やたら話すので、これでは姫路城の案内にはならない。けれどもそれはそれでいい。
話される言語はマルタ語と英語であり、ガイドの案内したマルタ人も65歳の男性は元々イギリスで生まれたとのことである。観光業に従事する中で様々な場所に居住、最終的に終の棲家をこのマルタに決めたということだから、人を魅了する何かがあるに違いない。この辺りのことをうかがっていた時に、ちょうど週末で、これもボランティアの忍者とすれ違い、一緒にポーズをとって写真撮影となり、それ以降はうかがう機会を逃した。現代においては忍者に邪魔をされることもそうそうない。
池田氏に強調した事象は、このマルタ人三名のグループは、一人が英語、イタリア語、マルタ語話者、一人が英語とマルタ語話者、そしてもう一人がイタリア語とマルタ語話者で、三人とも英語を理解するわけではなかったことである。三名でいる時はマルタ語で会話している。ガイドの香川氏は英語以外の語学学習にも関心があり、イタリア語を習得中であったのが幸か不幸か、英語で話した後にイタリア語で補足説明をするという、学習者にとっては1000本ノックのごとき負荷がかかる容赦なきスピーキング練習法であったとのことだ。
実際にはもう一人が通訳をするのでガイドの出番はあまりなかったわけだが、それでも海外旅行において母国語で話しかけてくれるときの喜びたるやを知るものとして、できるだけ無理をしてでもその言葉を使うことは、歴史の説明以上の価値があるということはこれまた想像に難くないだろう。
もう一つガイドがギリギリ知っていたマルタの知識として、日本人の英語学習者がその留学先としてマルタを選んでいると伝えると、それはアメリカやイギリスと比べて物価が安く、それに加えてナイトスポットが多いからではないかと教えてくれた。夜遅くまで飲んで酔っ払っているやつらは多いと。なるほど、それで英語まで習得できれば一石二鳥である。語学学習はやはりひたすらのインプットが不可欠なのであるが、ここではアウトプットばかりしてしまいそうだ。
ガイドの話を真剣な面持ちで聞いていた池田輝政氏だが、やはり戦国動乱の男らしく、マルタの地理的条件が海洋貿易、そして軍事戦略的にやはり要であることを察し、この島が現在独立国として繁栄を誇っている理由をすぐさまに察し、その持論を今にも語りだそうとしたが、紙面の終わりがきてしまったのでそれはまた後日の稿にまわすことにしよう。
池田「今日は一言もしゃべってないんだけど」