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ある通訳案内士の休憩時間 第一回 不思議な出会い
このnoteで主人公となる香川という中年の男は、世界遺産ならびに国宝姫路城で外国語ガイドをしている。これまでに500回以上のグループを案内し、その中には英語話者訪日客のメインとなるアメリカやオーストラリアだけでなく、南米やアフリカ、東欧など、日本からはなじみがあまりない国の観光客を含み、彼がそこで交わした情報は、その後彼の話を聞く者の関心をひいてやまない。私はある機会を得て彼と親交を持つこととなり、彼の今までに出会った人とのエピソードや、教育への情熱(彼は学習塾講師でもある)はたまた語学学習についてのヒントなどを聞いては私の本業への糧にしている。
私のことについても少し触れておく。私は地方新聞の記者で、現在は兵庫県西部、播磨地域の中核姫路市を中心に記事を書いている。姫路城についてのトピックは大きく耳目を惹くものだけに、頼りすぎると飽きられるが、かといって毎日のネタ収集に関しては困るほどの平和な地域。それゆえお城の使用頻度には気を配るようにしている。住むには十分な自然と都市部を擁するが、裏返せば他の地域と比べると抜きんでた要素を挙げ難いのが、この豊饒な地域の(記者にとっての)デメリットだ。
そんな中で香川氏との出会い以降、彼との話は、彼が所属する姫路城外国語ボランティアガイド協会(通称、VEGA)の活動を小出しにできる私にとっていいツールとなったわけだが、私が本業の新聞以外にここに密かにnoteを始めたのは、それとは違う、文字通り「信じられない」理由からである。
姫路城を訪れた人であれば記憶に残っていよう、天守閣を真下から圧倒的な規模で眺望できる備前丸という広場。天守閣内部の見学が終わった観光客が必ず通る場所で、絶好の撮影スポット、トイレ休憩、備え付けのベンチで青空の下の休憩など、思い思いに過ごせる場所だ。私も仕事で姫路城に来た時には用がなくとも必ずここへきて(たどり着くには少し坂を上らねばならないが)往時に思いを馳せたり、様々な顔立ちの外国人を見物しては、大切な休息の時間としている。
ある日のことだ。たまたまその備前丸のトイレの近くで、ひとり突っ立っている香川氏を見かけた。前の取材からは三月経っており、どうやら外国人を連れているわけでもなかったので、挨拶がてら話しかけようと近寄っていった。
10メートルほどのところまで近づいたとき、私は少し違和感を感じた。彼はひとりでいたわけだが、その視線はやや斜め上方、何かを見ている様子。そしてその違和感の原因はというと、彼の口元が何かを話しているように見えたことである。違和感というよりも異様な、恐怖心。人間の感覚は農耕化を経て都市化した後でもいまだに、ジャングルを駆け回っていたころと同様、こういうことに非常に敏感である。おそらく生存に関わることであるからであろう。香川氏は一体どういう状況なのか。恐る恐る話しかけてみた。
「香川さん、K新聞の中尾です。ご無沙汰しております。この前は取材に協力していただきありがとうございました」
「ああ、これはどうも。記事見ました。よく書いていただいてありがとうございます。できれば塾の所在地もきちんと記事に含んでほしかったです、なんちゃって」
「ところで、今誰かとお話されていましたか?いや、なんとなくそういうふうに見えて」
「あ、ばれましたか。恥ずかしいなあ。僕は天気がいいと独り言を言う癖があるんです、っていうのは冗談で。どうせ、言っても信じられないでしょうし、変な癖と思ってもらったらいいのですが、実はここに話し相手がいるんです。おそらく見えないと思いますが」
「?どこに、ですか?」
私は、これは面倒な人だったという可能性に行き当たった。
「石垣の上、座ってらっしゃる」
「いや、よく分からないんですけど」
「どうせ信じてもらえないので、別に人には言っていますが、そこに池田輝政がいるんですよ、この白いお城を作った」
予想もしない回答に思考がついていかなかった。しかし、もしこれが他の理由、いや、彼の口から出た名前が他の人物であれば、私はこの人をこれ以降遠ざけるはずであった。しかし、池田輝政である。私も姫路城に関しては文献を読むことも多いので、その名前の漢字と代表的な肖像画がパンと頭に浮かんだ。いかんなー、大きすぎる。このようなオカルト系の話に付き合う場合、もっとめそめそしたり、子供だまし的な言い回しが多くて、その相手に対してどのように話を切り上げるか気を遣うものだが、ここまで爽快で具体的であれば、何かあっぱれな気分がして、もう少し肯定的に聞いてみた方が面白いと思った。
「あれ、嘘だと思わないんですか。それでは続けますが、私もなぜ見えるのか分からないし、池田輝政、まあ池田さんも、400年以上ずっと居るらしいのですが、話しかけられたのは初めてとのことです。って、そこでこの話聞いてるんですけど。私は、こう、普通に見えるものですから、「そこは立ち入り禁止ですよ」って注意したわけです、そのコスプレおやじに、最初は。そしたら池田さんの方もびっくりしてそこの高石垣から転落してしまって。まあよくある幽霊のごとく浮いて戻ってきましたが。それ以来お互いここで情報交換です。私は仕事柄当時のことをもっとよく知りたいですし、池田さんもついに話し相手ができてよかったようで。最も我々が本当に知りたい戦国時代の話などはほとんど記憶にないらしいので残念ですが」
「どうやって池田輝政って分かるんですか?」
「肖像画そっくりです。当時の肖像画なんか当てにならないと思っていましたが、いや、これはびっくりでした。あと本人の話もそれらしいですし」
「どんな話をするのか、ちょっとかいつまんで教えてください」
「彼は今でも好奇心旺盛で、ここ数年の外国人観光客の増加は明治期に陸軍が置かれたことに匹敵するインパクトだと言っています。あともちろん姫路空襲のときと。ここ備前丸には池田氏が居住用の建物を建ててて、廃藩置県頃でもそのまま建っていたらしいのですが、陸軍のタバコによる失火で全部燃えちゃったんですね。それまで輝さん、あ、僕は輝さんって呼んでいます、ほぼ同級生なので。(池田輝政享年48歳)彼は死後も備前丸に居続けたらしく、お屋敷の焼失後は主に西の丸の化粧櫓で寝ているらしいです、千姫さまもいないことだし」
「ちょっと待ってください、いきなりそんなことを言われても、整理が付きません。でも、もし、差し支えなければ、私もその会話に入れてもらえないでしょうか?香川さんを通じて、僕は池田輝政と話ができるということですよね?」
「まあそうですね。でも輝さん人見知りだから、今はいい顔してませんけど。週に数回、僕がガイドに来た時に時間があればここで話をしています。自分で言うのもなんですがきっと面白い話が聞けると思います。ただ中尾さんがそれを記事にできるかは知りませんよ、誰もこんなこと信じないでしょうから、それこそK新聞つぶれちゃうんじゃないですかね」
「そうですね、記事にはできないでしょう。でも非常に興味があるというか、逃してはいけないような感覚が自分の中で働いています。是非、リアルタイムでこの場にいたいと思います。どうでしょうか」
「さすが新聞記者って言っていいのか何なのか。こちらは別に構いませんので。池田輝政は気にしなくても、斬り捨てたくてももうできないですから」
かくして私はこのような機会を得ることになった。このnoteでは、今は面白いのかどうか分からない、ここでこの二人が繰り広げる話を、香川氏がまとめたものを、また私が整理して綴っていく。私が姫路城を訪れるのが週に一度だから、だいたいそのようなペースで更新することになるだろう。もし本当に池田輝政がそこにいたならば。