練馬区にある「光が丘公園」は、都内有数の敷地面積を誇る自然公園で、広さは60万平方メートルある。よくわからない? じゃあ東京ドーム約13個分、ってもっとわからないか😄 あのカウント方法、みんなピンときてんのかね。
ここにはかつてアメリカ駐留軍の家族用宿舎があり、グラント将軍の名前をとってグラント・ハイツと呼ばれていたのはよく知られているところ。
しかし、それよりさらに前、まだ戦時中のこと。この場所には成増陸軍飛行場という日本陸軍の飛行場があった。都内でも数少ないこの軍用飛行場は震天制空隊の訓練基地。震天制空隊というのは、特攻隊のひとつ。といっても、海上の戦艦に突入するのではなく、飛行中のB-29に体当たりして撃墜するのが役目。空中衝突なので、パイロットはパラシュートで脱出すれば生還できる可能性がある、というのが理屈だが、実際は……。
当初は沖縄戦に向けた訓練基地として突貫工事で開設されたが、戦況の悪化とともにこの地でも特攻隊が編成され、若い隊員が飛び立っていった。
ということで、今回はまじめな話です。
音量注意!
一見すると、この並木通りが飛行場の滑走路跡のようにも思えるけれど、実際の滑走路はもう少し西寄りにあったらしい。でもイメージとしてはこんな感じだな。
少年たちが生まれるよりも、ずっと昔。
もう何十年も前のこと。
この地にも砲弾の雨が降り、ここの滑走路から意を決して飛び立っていった少年たちがいた。そこには、いいも悪いもない。後世の人間である自分たちができることといえば、何があったかを知ること。それしかできない。
戦後、飛行場は接収され、グラント・ハイツとして整備された。この地は亜米利加となり、フェンスの向こうでは白人の子どもたちが楽しそうに遊ぶ姿を目にするようになった。
グラント・ハイツが日本へ返還されたのは、1973年のことだ。