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「黒ヘル戦記」の番外編【短編小説】1985年、夏の一日

1985年、夏の一日

【あらすじ】
 1985年、五郎は外堀大学に入学した。病気で高校を留年したため、2年遅れての大学進学だった。外堀大学には同じ高校の卒業生、秀樹がいた。同じ歳の先輩・秀樹のおかげで、五郎の大学生活は順調にスタートした。「この借りはいつか返す」と五郎は秀樹に約束した。しかし、夏のある日を境に秀樹は姿を消す。ゲリラ戦を戦うため、地下に潜ったのだ。そして、秋、二つの事件が起きる。10.20三里塚と11.29国鉄同時多発ゲリラである。
 1980年代の法政大学を舞台にしたハードボイルド小説「黒ヘル戦記」の番外編。
 三里塚闘争、国鉄分割民営化阻止闘争の中で起きた白ヘル活動家男女の心中事件を描いた短編小説。
 激しく短く生きた活動家の姿を高校時代の同級生が切々と語る。



 1

 東京駅の丸の内中央口から外に出て、皇居に向かって敷かれた行幸通りの端に立った時、心の底で何かが動くのがわかった。はじめ、その何かは輪郭のない、ぼやけたものだった。が、皇居に近づくにつれて輪郭は明らかになり、馬場先濠を渡り、内堀通りを前にした時には、はっきりとした形を持つものになっていた。
 心の中で形になったのは、早世した友、西山秀樹の思い出だった。海底に沈んでいた船が、ゆっくりと水面に浮かび上がるかのように、秀樹の顔や話し声が記憶の海の底から浮かび上がってきた。
 秀樹とは中学も高校も大学も同じだった。しかし、友人として付き合うようになったのは大学に入ってからだ。しかも、秀樹は夏に失踪してしまったので、顔を合わせていた期間は数ヶ月でしかない。そう考えると秀樹と一緒に過ごした時間は短い。とはいえ、中学時代のはじめから顔と名前は知っていたし、共通の友人も何人かいた。駅前や商店街で顔を合わせれば、「よっ」と声を掛け合う仲ではあったから、やはり、長い付き合いだったといっていいだろう。
 秀樹とはじめて話らしい話をしたのは1985年(昭和60年)の3月。ある日、突然、何の前触れもなく、秀樹から電話がかかってきた。
「五郎、あんたに電話だよ。西山君だよ」
 母はそう言った。
「西山?」
 誰だろう。西山という名に覚えはなかった。
「五郎か、西山だ。わかるか?」
 この声には聞き覚えがあった。
「あー、サッカー部の秀樹か」
「そうだよ、秀樹だ」
「西山っていうから、わからなかったよ」
「そうか。俺、苗字で呼ばれること、なかったからな」
 秀樹の顔が浮かんだ。サッカー部の連中とワイワイやっている時の顔だ。
 高3の時、秀樹はサッカー部のキャプテンだった。サッカー部は何かと目立っていたので、同じ学年で秀樹を知らないものはいなかっただろう。そんな有名人がなぜ電話をかけてきたのか、俺には見当がつかなかった。
「五郎は高森先生のこと、知ってるよな。高校で俺のクラスの担任だった国語の教師」
「知ってるよ」
「こないだ高森先生と会って、五郎が外堀大学に入ったって聞いたんだよ」
「そうだよ。ついに俺も大学生だよ」
「実は俺も堀大なんだ。法学部の政治学科だ」
「そうなんだ」
「五郎はずっと入院してたからな。でも、元気になったんだな。よかったよ。みんな、心配してたんだぞ」
 秀樹と俺は同じ歳だが、卒業年度は違う。俺が一年留年したからだ。高校3年の夏に肋膜炎にかかり、長期入院を余儀なくされたのだ。そして、さらに一年浪人したので、現役で大学に入った秀樹とは二年のズレがあった。
「秀樹も堀大だったのか。心強いよ。よろしく頼む。いろいろ教えてくれ」
「うん、そう思って電話したんだ」
 この頃、俺は4月から始まる大学生活に不安を覚えていた。友達を作る自信がなかったのだ。もともと俺は友達を作るのが得意ではなかったのだが、二度目の高校3年生の時はそれが深刻な問題となった。
 この時のクラスメートは全員、年下。それで、うまくコミュニケーションが取れなかったのだ。向こうは。年長者の俺に敬語を使った方がいいのか、それともクラスメートとしてフランクに接した方がいいのか、決めかねているようだった。こういう場合はこっちから声をかけるべきなのだろうが、性格的にそれができなかった。だから、ずっと話し相手ができず、浮いていた。
 入院生活が長かったので孤独には慣れていた。しかし、友達がいなかったことでずいぶん苦労をした。友達がまったくいないと生活が困難になるのだ。人に頼めばすむことも、すべて自分でやらねばならない。人に聞けばすぐにわかることも、すべて自分で調べなければならない。何か忘れ物をした時も、ちょっと貸してと言える相手がいないので、いちいち文房具屋に走らなければならない。
 たった一年の歳の差でこんな苦労をしたわけだが、今度はクラスメートと二つ歳が違う。果たしてうまくやっていけるのか。
 そんなことを考えていた時に秀樹から電話があったので、一気に目の前が明るくなり、思わずガッツポーズが出たのを覚えている。

 2

 外堀大学は皇居の外濠に沿って走る外堀通りの内側、富士見の丘の上にある。皇居の周囲には桜の名所がたくさんあるが、外堀大学のあたりもその一つで、入学式が行われる頃はいつも花見客で賑わっている。
「これが大学か。すごいな」
 この日の外堀大学は花見の会場並みに賑わっていた。新歓祭の真っ最中で、キャンパスはサークルの出店で埋まり、新入生の獲得合戦が繰り広げられていた。高校にも新歓はあったが、規模が全然違った。高校の学園祭以上の盛り上がりだった。
「五郎ちゃん、この程度で驚いてちゃあ、学祭で腰を抜かすぞ」
「そんなにすごいのか」
「すごいよ。三泊四日、オールナイトでやる。一年の時は俺もたまげたよ。堀大の学祭は日本三大祭りの一つだと言うやつもいる」
 どんなものなのか想像もつかなかったが、熱気あふれるキャンパスを見て、いい大学に来たと思った。こういう明るい大学なら俺も楽しく過ごせそうだ。
 この時期、授業はない。が、秀樹は毎日、大学に来て俺の面倒を見てくれた。大学の施設を案内してくれたり、履修の相談に乗ってくれたり、俺に向いていそうなサークルもいくつか紹介してくれた。堀大の学生がよく行く飯屋や飲み屋も教えてくれた。
 秀樹と行動を共にして、この男がサッカー部のキャプテンに選ばれた理由がわかった。とにかく責任感が強く、面倒見がいい。この男なら仲間から慕われる。
 秀樹に難があるとすれば、ペースが速すぎるところだ。何事も即断即決でどんどん先に進んで行く。運動部ならそれでもいいのかもしれないが、俺にはきつかった。それで、ちょっと待ってくれ、ゆっくり考えさせてくれ、と何度言ったかわからない。
「悪い、悪い。俺ってせっかちなんだ。よく言われるんだよ。ごめん」
 待ってくれと言うと秀樹はすぐに謝る。が、次に会った時には忘れているようで、また俺を置いて先に行く。
 しかし、秀樹がしてくれたことを考えれば、こんなことは取るに足らない些細なことだ。秀樹のおかげで大学生活は順調にスタートした。サークルも決まり、友達も一人、二人と増えていった。堀大には浪人して来るやつが多かったので、歳の差もほとんど問題にならなかった。
 大学生活にも慣れた5月の中頃、秀樹と二人で飲んでいる時、俺はこう言った。
「秀樹のおかげでいい大学生活が送れてる。本当にありがとう。この借りはいつか返すよ」
「そうか、返してくれるか。頼むぜ、五郎、期待してるよ」
 秀樹は間髪を入れずにこう答えた。が、その後、浮かない顔をしてこう続けた。
「本当にその日が来るといいけどな。でも、人生、先のことはわからないからな」
「なんだ、俺が信用できないのか」
「いや、そうじゃない。こっちの話だ。気にしないでくれ。ところで」
 秀樹は急に話題を変えた。
「堀大の名物といえば学祭とマルゲリだが、マルゲリとは関わらないほうがいいぞ」
 マルゲリとは新左翼セクト、マルクス主義者同盟ゲリラ戦貫徹派のことだ。
 堀大はマルゲリの拠点校で、学生自治会はマルゲリの支配下にあった。役員はみなマルゲリの同盟員で、そうでないものは選挙に立候補することもできなかった。
 マルゲリのことはクラスでもサークルでもよく話題になった。みんながマルゲリの話をするのは、いやでも目につくからだ。
 マルゲリの活動家は毎日、朝、昼、夕の3回、校舎の正面に立てかけられた大きな看板の前で情宣活動を行っていた。教室にもよくビラをもって現れた。堀大ではマルゲリを見ない日はないのだ。白いヘルメットを被ったマルゲリの活動家の姿は堀大キャンパスの風景の欠かせない一部になっていたのだ。
 秀樹の言う通り、マルゲリは堀大の名物の一つだった。堀大といえばマルゲリ、マルゲリといえば堀大だった。しかし、堀大生がマルゲリを支持したかというとそうではない。マルゲリを支持する学生はごく少数で、大多数の学生はマルゲリの活動を評価していなかった。
 俺もそうだった。1960年の安保闘争や60年代後半の全共闘運動のことは知っていた。その頃、大学に入っていたら運動に参加していたかもしれない。しかし、80年代のマルゲリの運動にはシンパシーを覚えなかった。こう言っては活動家に悪いが、ただのアナクロ趣味にしか見えなかった。
「アナクロ趣味か。そうだな。俺もあのヘルメットは嫌いなんだよ。ただのファッションだからな。五郎の言うことはわかるよ」
 秀樹はそう言って頷いた。しかし、どうしていきなりマルゲリの話をしたのか。
「別にたいした意味はないよ。ただ、五郎は苦労して堀大に入っただろう。高校を留年して、さらに一年浪人もして。そういう人間はああいう活動には関わらない方がいいよ。せっかくの努力が台無しになる」

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