黒ヘル戦記 第七話 失踪者(後半)
『情況』2022年冬号に掲載された反体制ハードボイルド小説
1985年11月29日、マルゲリ全学連の決死隊は浅草橋駅を襲撃した。船戸健一はその実行部隊の一人。船戸は公安の追跡を振り払い、そのまま逃亡生活に入った。
この物語は、人生の大半を逃亡者として過ごした男の愛と戦いの記録である。
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活動家の世界には「ゲバ名」というものがある。ゲバ名は活動家が使う偽名のことで、有名なところでは、レーニン、トロツキー、スターリンもゲバ名である。
反体制運動では、ゲバ名は必須とされているので、一九八〇年代の外堀大学の黒ヘル活動家も、みんなそれぞれゲバ名を持っていた。
俺が自分のゲバ名を決めたのは一九八五年の十二月、学費値上げ阻止闘争に参加した時だった。GK(学術行動委員会)の先輩から「ヘルメットをかぶるなら、ゲバ名を考えておくように」と言われ、いくつか考えて先輩に見てもらったのだが、なかなかOKが出なかった。
はじめ、俺は、武田とか上杉とか、戦国武将にあやかった名前を持っていった。闘争の現場で使う名前なのだから、強そうなのがいいだろうと思ったのだ。が、先輩は「これではダメだ」と言った。
「我々がゲバ名を使うのは、公安から身元を隠すため、誰が誰なのか特定されるのを防ぐため。だから、ゲバ名は目立たない、印象に残らないものがいい」
この説明を聞いた時は、目から鱗が落ちるような気がした。それまで俺はこう考えていた。ゲバ名は役者にとっての芸名、作家にとってのペンネーム、プロレスラーにとってのリングネーム、ホステスにとっての源氏名のようなもの。だから、人の印象に残る名前がいいと。が、そうではなかったのだ。本物の革命家は目立ってはいけない。これが、革命のリアリズムなのだ。
それで俺は考えを改め、今度は、山田とか佐藤といった、目立たない、印象に残らない名前を持っていったのだが、これにもOKは出なかった。
「普通すぎる。これだと誰も覚えない。いざって時に思い出せない」
目立ってもダメ、普通すぎてもダメ。俺は頭を抱えた。
「武川君、難しく考える必要はないよ。これは、さじ加減の問題だ。たとえば、山手線の駅名から選ぶとすると、新宿とか渋谷とか恵比寿はダメ。しかし、大塚、田端、田町はOK」
なるほど、そういうものか。それで、次に俺は西武池袋線の駅名にちなんだ名前をいくつか持っていった。下の名前までは忘れたが、苗字はたしか、椎名、大泉、秋津だったと思う。西武池袋線を選んだのは、その頃、その沿線に住んでいたからだ。
これにはすぐにOKが出た。一つに絞れと言われたので、一番、気に入っていた秋津に決めた。
が、結局、俺が秋津と呼ばれることはなかった。理由は、ゲバ名よりも先に本名の方が知られていたからだ。
学生運動に関わる少し前の十月、俺は哲学会の発行する論文集に寄稿していた。その論文は「武川武(たけかわたける)」の本名で書いていた。それで、その頃から本名が知られていたのだ。だから、「どうも、秋津です」と名乗っても、「あ、哲学科の武川君だね。あの論文、面白かったよ」となってしまい、誰も秋津とは呼んでくれなかったのだ。
ゲバ名とはそういうもので、はじめが肝心なのだ。
そんなわけで秋津という名は定着せず、俺は本名で戦わざるを得なくなったのだが、これはいいものではなかった。
GKにはゲバ名で通している活動家がけっこういたが、彼らはよくこんなことを言っていた。
「正月に帰省して地元の友達から本名で呼ばれるとホッとする。本当の自分に帰ってきたって気持ちになる」
この気持ちはなんとなくわかった。そういうものなのだろう。が、俺にはそのホッとする瞬間がなかった。彼らの言う「本当の自分」という逃げ場がなかった。だから、学生時代はゲバ名を使っている人間が羨ましくて仕方がなかった。
が、船戸健一の話を聞いて、俺の考えは変わった。偽名を使うのもよしあしだ。偽名を使えば楽になることもあるだろう。が、偽名には落とし穴もある。偽名はただでさえややこしい人生というものを、さらにややこしいものにする。
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