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ルカ2:22∼40シェガレ神父の説教
主の奉献 ルカ2,22−40 渋川 2025
今日お祝いする奉献は主の公現に続く祝日で、律法による幼子イエスの神への奉献とマリアの清めの記念と同時に、救いの光は万民の上に輝いていることを思い出させます。ヨ―ロッパでは主の奉献の日に、3歳の子供は教会に親に連れられて、ろうそくを持たされて、祭壇に進み、司祭から祝別を受けます。ミサの後に皆が家に集まり、お昼の食事にクレープを食べる習慣があります。クレープの上に注がれたブランデイに火をつけて(フランベ)、クレープの上に上がる明るい炎が子供の目を輝かせます。
奉献の祝日に当たって今日の聖書に旧約の世界に属する二人の高齢者、シメオンとアンナが登場します。福音書によるとシメオンは正しい人で、信仰があつく、聖霊に満たされ、主の慰め、つまり救い主が来るのを待っている模範的な人のように描かれています。独身で、仕事から引退されて、神様の奉仕に晩年を捧げ、毎日神殿に行き、祈っていたと言われています。ある日、聖霊に導かれたシメオンは生贄のための山鳩一つがいと家鳩のヒナ二羽を持つヨゼフと幼子の手を取ったマリアと出会い、霊感を受けて、この子が救い主であることがわかり、子を抱きしめて、神を賛美し、家族を祝福します。「わたしはこの目であなたの救いを見た。万民のために整えてくださった救いで、異邦人を照らす啓示の光です」。シメオンは旧約時代の人なのに狭い民族意識ではなく、万民を照らす光である救いの普遍性を信じています。このシメオンの祈りは、「シメオンの讃歌」と呼ばれて、「寝る前の晩の祈り」として信徒と司祭、特修道者に勧められています。
神への賛美の言葉の後に、シメオンはマリアに向かって幼子イエスの苦難を予告します。「この子はイスラエルの多くの人にとってつまずく石となり、つまずいた人々から「反対を受ける」ことを予言します。そして彼はマリアに「あなた自身もで心を」ことを予告します。彼女は息子の受難にあずかり、苦しみを受けることになることを意味します。
次に登場する人は(朗読しなかったが)女預言者のアンナです。彼女は若い時に夫を無くしてやもめです。聖書の寡は身分も身寄りもなく、孤児と並んで基本的な人権が認められず、最も厳しい差別を受ける人でした。84歳の彼女はシメオンと同じで、毎日神殿に行き、夜も昼もお祈りし、救いを待ち望む典型的な一人です。
現代はシメオンとアンナのような、昼も夜も祈っている高齢者の方が、渋川教会を含め、どこの教会にも見かけられます。目立たないまま静かに祈り続ける彼らの存在は教会の宝です。彼らの声に耳を傾け、彼らから祈りを学ぶことができたら幸いです。
どうか、毎週の日曜日教会に来るわたしたちは人生の歩みの中で聖霊の働きに気づかされ、また聖霊に導かれて、シメオンやアンナのようにイエスと出会う喜びを味わうことができるよう祈りたいと思います。