ぐんまのヨセフ

渋川カトリック教会で洗礼を受け 教会の皆様の温かい心と深い信仰心に 励まされています。 シェガレ神父の説教を中心に投稿しています。

ぐんまのヨセフ

渋川カトリック教会で洗礼を受け 教会の皆様の温かい心と深い信仰心に 励まされています。 シェガレ神父の説教を中心に投稿しています。

最近の記事

マルコ福音書13:24∼32シェガレ神父の説教

B 年間33主日 マルコ13、24−32 終わりの日  2024  様々な苦難の後に誰も予期できない終わりの日がやってきて、「太陽が暗くなり、月は光を放たず、星は空から落ち、天体は揺り動かされる」とイエスが予言します。宇宙の終焉はSF小説みたいで恐ろしい話だが、イエスの予言だけではなく宇宙科学者も終わりの日を予測しています。ビッグバンの爆発によって誕生した宇宙は膨張し続け、無限に広がり、いつか引き裂かれ、終わってしまいます。一部の学者によるとこの宇宙の終わりは1000億年後

    • マルコ福音書12:38∼44シェガレ神父の説教

      B年間32主日 マルコ12,38−44  やもめの献金 渋川 2024 イエスは神殿の向かいに座って、群衆がそれに金を入れる様子を見ておられました。見せびらかし好きな律法学者と金持ちは、人々の注意を引くために大きな音を立てて、多額のお金を入れています。ところが、一人の貧しいやもめがやって来て、二百円ぐらいに相当するレプトン銅貨二枚を入れます。 イエスは金持ちの多額ではなく、やもめの小さな献金に関心を寄せて、彼女のしたことを褒めます。金持ちが有り余る中からお金を入れたが、貧し

      • マルコ福音書12:28∼34シェガレ神父の説教

        B年間31主日  マルコ12,28−34 愛の掟 渋川 2024  さっき聞いたが、ある一人の律法学者が「あらゆる掟のうちで、どれが第一でしょうか」と聞きます。彼の質問に対してイエスは「第一の掟は、『心を尽くし、精神を尽くし、思いを尽くし、力を尽くして、あなたの神である主を愛しなさい。』 第二の掟は『隣人を自分のように愛しなさい』」この二つにまさる掟はほかにない」とイエスが主張します。  日本では神を愛する表現がなく、見えない神を愛でないと疑問を持つ人が多いようです。多くの

        • マルコ福音書10:46∼52シェガレ神父の説教

          B 年間30主日 マルコ10,46-52  バルテイマイの信仰 渋川 2024  さっき、エリコのバルティマイの感動的な癒し物語を聞きました。目の障害のために取り残されていたバルティマイは、道端に座りながら物乞いをしていました。  日本は、貧困層が多いが、物乞いは恥ずかしいので、乞食は見かけません。しかし多くの裕福な国では、バルティマイのような、道端に座って物乞いをする人をよく見かけます。彼らはホームレスであったり、失業していたり、ハンデイキャップをもったり、様々な理由のた

          マルコ福音書10:35∼45シェガレ神父の説教

          B 年間29主日 マルコ10,35−45 権力と奉仕  2024     兄弟だった二人の弟子、ヤコブとヨハネはイエスに近づき「先生、お願いすることをかなえていただきたいですが」と口を慎みながら質問します。イエスは「何をしてほしいのか」と言われると二人は「栄光をお受けになるとき、わたしどもの一人をあなたの右に、もう一人を左に座らせてください」と願っています。  この願いを聞いて多分イエスはうんざりしたと思います。以前はイエスが3回ほど自分の受難のことを予告していたのに

          マルコ福音書10:35∼45シェガレ神父の説教

          マルコ福音書10:17∼30「シェガレ神父の説教」

          B 28年間主日  マルコ10,17−27 金持ちの人  渋川2024  一人の人が走り寄って「良い先生, 永遠の命を受け継ぐには何をすれば良いでしょうか」とたずねます。イエスは律法の原点であるモーセの十戒を引用して「殺すな、姦淫するな、盗むな、偽証するな、奪い取るな、父母を敬え」と答えるが、何々するなという掟は多いです。 このモーセの十戒は旧約聖書だけではなく, 日本をはじめ、ほとんどの国や宗教が教える倫理の基本であり、人類に与えられる共通の知恵であり、社会が成り立

          マルコ福音書10:17∼30「シェガレ神父の説教」

          マルコ福音書10:2∼16「シェガレ神父の説教」

          B 27年間主日 マルコ10,2-16  離縁 渋川 2024  今日の聖書に出る「離縁」は、私たちが持っている離婚のイメージとは違って、夫が一方的に妻を追い出すことです。当時離縁の正当性について意見が一致していなかったので、ファリザイ派の人々は「夫が妻を離縁することは律法に叶っているかどうか」とイエスを試して質問します。イエスはモーセがあなた方に何を命じたか」と問い返すと、多分ファリザイ派の人々は旧約聖書(申命記24、1)を引用し「夫が妻に何か恥ずべきことを見いだし、気に

          マルコ福音書10:2∼16「シェガレ神父の説教」

          マルコ福音書9:38∼48「シェガレ神父の説教」

          B年間26主日 マルコ9,38・48 逆らわない者は、私の味方 2024   今日の福音の箇所はもともとバラバラだった三つの話しが繋がれました。一つ目はいわゆる宗派競争に関する問題です。使徒ヨハネがイエスに「先生、お名前を使って悪霊を追い出している者を見ましたが、わたしたちに従わないので、やめさせようとした」と言います。しかしイエスは癒しと悪魔祓いは自分たちのグループの特権ではなく、イエスの名を使って他のグループの活動も認めるべきだとヨハネの心の狭さを批判し、「わたしたち

          マルコ福音書9:38∼48「シェガレ神父の説教」

          マルコ9:30∼37「シェガレ神父の説教」

          B年間25主日 マルコ9,30-37 子供を受け入れ子供のようになる 2024     イエスは弟子たちに、「途中で何を議論していたのか」と尋ねたら、彼らは恥ずかしくなり黙っていました。だれがいちばん偉いかと議論し合っていたからです。そこでイエスは彼らに、「いちばん先になりたい者は、すべての人の後になり、すべての人に仕える者になりなさい」と言って、彼らの心を見抜いたイエスは一人の子供の手を取って、抱きしめて、弟子達の真ん中に立たせる行動をとります。  イエスの行動を理解する

          マルコ9:30∼37「シェガレ神父の説教」

          マルコ8:27∼35「シェガレ神父の説教」

          B年間24主日 マルコ8,27-35 ペトロの告白  2024 「人々は、わたしのことを何者だと言っているのか」とイエスの質問に対して弟子たちは、色々な噂があるが、中には死者から生き返った洗礼者ヨハネだとか、あるいは死んだ後に天に上げられ、この世に戻った預言者「エリヤ」だとかいう人がいます。  弟子たちの答えを聞いたイエスは今度彼らに向かって「それでは、あなたがたはわたしを何者だと言うか」と彼らに尋ねます。3年間ほどイエスと付き合った弟子たちは、突然の質問に対して動揺し、黙

          マルコ8:27∼35「シェガレ神父の説教」

          マルコ7:31∼37「シェガレ神父の説教」

          B年間23主日 マルコ7,31−37  エッファタ 2021-24-2     人々は長い旅からガリラヤ湖に戻ってきたイエスのもとに, 耳が聞こえず, 舌が回らない人を連れてきて、その人に手を置くようとイエスに願います。聞こえず話せない人は他者とのコミュニケーションは全くできず、自分の苦しみさえ訴えられず、中風の癒し物語(マルコ2,3-12)の人と同様、完全に受け身になって、名前もなく、全てにおいて周りの人々の哀れみに頼っていました。 イエスは耳と舌が回らない人を連れて

          マルコ7:31∼37「シェガレ神父の説教」

          マルコ7:1~23「シェガレ神父の説教」

          B年間22主日 マルコ7,1−27 食事の前に手を洗うべきか 2024 今日の福音の箇所を読んで、どうしてイエスの弟子たちは食事の前に手を洗っていなかったかという疑問が浮かんできます。農村と漁村出身の彼らが衛生のルールをしらず、食事の前に手を洗う習慣がなかったでしょうか。そうではないと思います。むしろ手洗わない彼らの態度は積極的な意味があり、律法を硬く守り、思いやりのない律法学者に対する反抗のしるしではなかったかと思います。また律法学者とファリサイ派の人々が問題にしていたの

          マルコ7:1~23「シェガレ神父の説教」

          ヨハネ福音書6:63~68「シェガレ神父の説教」

          B 年間21主日 ヨハネ6,60-69  教会離れ 渋川 2024  いままでイエスの言葉に正しい権威を感じていた弟子たちは、「私はいのちのパンである」という言葉に躓き、イエスから離れようとします。これに気づいたイエスはどれほど孤独感を感じたでしょう。やがてそばに残っていた12人の使徒に向かって、イエスは「あなた方も私から離れていくのですか」と質問します。イエスは弟子たちを引きとめる意向がなく、彼らの自由意志を尊重します。自由がなければ弟子になれないからです。そこでペトロ

          ヨハネ福音書6:63~68「シェガレ神父の説教」

          ヨハネ福音書6:51∼58「シェガレ神父の説教」

          B 年間20主日 ヨハネ6,51〜58  肉を食べ、血を飲む  2024   イエスはユダヤ人に「まことに、まことに、あなたがたに言います。人の子の肉を食べ、またその血を飲まなければ、あなたがたのうちに、いのちはありません」と言いますが、今日の福音は難しく、司祭にとっては一番辛い説教かもしれません。ユダヤ人たちは当然この言葉に躓きます。彼らは「この人は、どのようにしてその肉を私たちに与えて食べさせることができるか」と激しく議論しています。信者である私たちもこのイエスの言葉に躓

          ヨハネ福音書6:51∼58「シェガレ神父の説教」

          ヨハネ福音書6:41∼51「シェガレ神父の説教」

          B年間主日19 ヨハネ6,41−51 いのちのパン 渋川 2024    今日の福音は先週集まった群衆の後に、「ユダヤ人」が登場します。ヨハネ福音書の「ユダヤ人」はイエスに対して敵意を持つ特別なグループで、イエスが亡くなった後に初代教会を迫害した人たちです。彼らの特徴は群衆の率直と違い「呟き」です。呟きとは何でしょう。  「呟く」はぶつぶつ独り言をいい続け、面と向かわず, 不平不満を漏らすことです。最近SNSを利用して呟く人が多くなってきたような気がします。Xの前に呼ばれて

          ヨハネ福音書6:41∼51「シェガレ神父の説教」

          ヨハネによる福音6:24~35「シェガレ神父の説教」

          B年間18主日 ヨハネ6,24-35 いのちのパンの問答 渋川 2024  今日の福音は先週の「パンの増加」の続きで、イエスと弟子たちは船に乗って宣教拠点のカファナウムに戻ります。「パンの増加」の場所に残っていた群衆は、消えたイエスと弟子たちを探しています。皆がまるで隠れん坊をするかのようです!やがて群衆はイエスを見つけて「先生いつ、ここにおいでになったのか」と質問します。   群衆の人々はイエスの手からもう一度パンを配られ、満腹感を味わいたいのです。しかしイエスは彼らに

          ヨハネによる福音6:24~35「シェガレ神父の説教」