![見出し画像](https://assets.st-note.com/production/uploads/images/159558412/rectangle_large_type_2_e3b2a7e530bcf0223ad7c14c38c41fe2.jpeg?width=1200)
マルコ福音書10:46∼52シェガレ神父の説教
B 年間30主日 マルコ10,46-52
バルテイマイの信仰 渋川 2024
さっき、エリコのバルティマイの感動的な癒し物語を聞きました。目の障害のために取り残されていたバルティマイは、道端に座りながら物乞いをしていました。
日本は、貧困層が多いが、物乞いは恥ずかしいので、乞食は見かけません。しかし多くの裕福な国では、バルティマイのような、道端に座って物乞いをする人をよく見かけます。彼らはホームレスであったり、失業していたり、ハンデイキャップをもったり、様々な理由のために物乞いをしています。そして通り掛かるほとんどの人は乞食を見ても見ないふりをして、あるいは反対側を通って避けます。
ところが毎日同じ場所に座り、物乞いをしていたバルティマイはある日、自分の人生を変えた出来事が起こり、通りかかったイエスとの出会いに恵まれ、盲目が癒され、「あなたの信仰はあなたを救った」と言われます。一体、救いに至った彼の信仰はなんだったでしょうか。今日の福音の箇所にこの信仰は四つのステップを経て語られています。
第一のステップは彼の叫びです。バルテイマイの信仰は叫びから始まりました。エリコの町を通り、エルサレムに向かうナザレのイエスが近づいたと聞いた時に彼は「ダビデの子イエスよ、私を憐れんでください!」と叫びます。あの人はうるさいとイライラする回りの人が彼を黙らせようとします。しかしバルティマイはますます声を大きく上げて叫んでいます。「ダビデの子イエスよ、憐れんでください!」と。叫びというのは失望に追い詰められ、自分が救われないとおもっていても諦めず、自分の苦しみを神に訴え続けることです。
信仰は神様が存在するかしないかという頭の理屈ではなく、叫びからはじまっています。詩篇には「主よ。深い淵から、私はあなたを呼び求めます」と神に向かって叫ぶ人が多く出ています。教皇フランシスコは「信仰とは叫びです。信仰がない者は、自分が諦めて、周りの人々の叫びを黙らせようとする」という意味深い言葉を述べています。新しい式次第の前に私たちはミサの始まりに罪を認めた後に「主よ、憐れみたまえ」と祭壇に向かって叫んでいました。果たして私たちの叫びは実感のこもった心の叫びだったでしょうか、時々疑問に思います。
神様が必ず人の叫びに答えて下さることはバルテイマイの素朴な信仰です。ところがイエスは彼の願いに直接に応えず、周りの人々の協力を求め「あの男を呼んで来させてください」と頼みます。そうすると、乞食がうるさいから彼を黙らせようとしていた周りの人々は、態度を変えて、イエスの指示通りに、「安心しなさい。立ちなさい。お呼びだ」と不自由バルテイマを励まし連れてくれます。
イエスに呼ばれていることを知って、バルティマイは唯一の財産である自分の上着を脱ぎ捨て、目が不自由なのに危険を冒してまで躍り上がって、イエスのいるところに行きます。今まで邪魔者としてしか扱われず、道端に取り残され、孤独に耐えなければならなかった彼は、初めて自分が呼ばれている喜びが感じたでしょう。そしてバルティマイは安全だった道端の場から離れ、今まで大切にしていた自分の上着を捨てて、イエスのいるところに向かって近づきます。信仰は自分のものを放棄して、神様に自分の命の全てを委ねることです。これはバルテイマイの信仰へプロセスの第二のステップでした。
立ち上がってきたバルティマイにイエスは声をかけて「何をしてほしい」と尋ねます。「先生、目が見えるようになりたいです」と。バルティマイの答えが率直でごく自然な祈りに変わります。失望の暗闇から解放されたバルテイマイの祈りを通して、肉体だけではなく、こころの目も開かれます。彼の祈りは彼の信仰は深めるられた第三のステップです。私たちも、祈りを通じて、見えない神のわざ、見えない聖霊の働き、見えない人生の意味が見えるようになります!
最後に癒されたバルティマイはイエスに従い、イエスについていた人たちとともにエルサレムに向かイ、イエスの受難の道を一緒に歩み始めます。イエスに従い十字架を背負うことによって信仰が本物となります。これは彼の信仰過程の最後のステップです。癒されたバルテイマイは自分のいのちを捧げていく用意ができています。そのために彼の名前が福音書に残ったと言えるでしょう。
どうか私たちも自分の惨めさを認め、神に向かって叫び、共に祈り、神のお呼びに耳を傾け、イエスに従い、自分に与えられた十字架を受け入れる用意を持って、救いに与ることができるように祈りましょう。