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マルコ福音書1:1∼8「シェガレ神父の説教」

B 年待降節弟2主日 
マルコ1,1−8 洗礼者ヨハネ
渋川 2023
 
今日の福音の箇所に洗礼者ヨハネというちょっと怖い、変わった人が登場します。らくだの毛皮を着, 腰に皮帯を締め、いなごと野蜜を食べ、「主の道筋をまっすぐにせよ」と叫ぶ人です。彼はまさにまっすぐな人で、言うべきことは勇気をもって言う。権力者、学者、宗教者、どんなに偉い人に対しても、逃げずに、正直で真正面からいうべきことを言う人です。ヨハネの声は人の心を揺さぶり、目を覚めさせ、大切なことに気づかせてくれる人。私たちはこのような預言者の真似は出来ないでしょう。現代は、正直者が馬鹿を見るということわざのように、正直さはもはや美徳ではなく、頑硬のしるしと見なされることが多い。私たちは先の見えない不確実な時代に生き残るためにどうしても用心深くなって、周りの状況に合わせて言うべきことを言わずに、無難な生き方をえらびます。
ザカリア大司祭の息子で、都会育ちのヨハネは、恵まれた環境から脱出して、荒れ野に移り、活動をはじめます。ユダヤの荒れ野は禿げた小さな山々が果てしなく、曲がりくねったデコボコの道が多い。荒れ野は嵐が起ると道は砂に覆い尽くされ、前方が見えないので迷いや試練と誘惑の場としてよく言われています。ある意味で私たちが住む現代社会に喩えられます。砂のような夥しい情報が飛び交っていて、正しい方向を示し出す目印がない社会です。しかし迷いと同時に聖書の荒れ野は神様と真剣に向き合える場、神と出会える場、「叫ぶ者の声が聞かされる」場とされています。だから「叫ぶ者の声」は型にはまった説教ではなく、響く力のある声、人を目覚めさせ、心を揺さぶる声です。荒れ野で叫ぶ者の声にはメッセージの内容だけではなく、叫んでいる方の痛み、怒り、喜びの気持ちが伝わります。
聖書によれば、初めにあった神の永遠の言葉は、天から下り、いろいろな時代、いろんな場で、預言者、知者、民衆の声を通して、世界中に響き、歴史を動かします。神の声は「戦争反対」と訴える人々の声、「人権の大切さ」を主張する人々の声、「自然環境の危機」に気づかせてくれる人々の声でもあって、神の哀れみ、怒り、喜び、義と平和への呼びかけ、回心への招きを伝えます。
ヨハネの叫ぶ声は悔い改めを迫っています。悔い改めという独自な聖書の言葉はギリシャ語でメタノイアの訳で、福音の原点に立ち返り、心の向きを変え、神様が示す正しい方向を探り直すことを意味します。
悔い改めなさいというヨハネの声は一人一人だけではなく、私たちの教会共同体にも向けられます。今、特に先進国と言われている国にある教会はいろんな意味で大きな危機に直面しています。多くの所では信仰が冷えてしまい、共同体のつながりが薄くなり、活動の勢いは低下しています。コロナウィルスの感染拡大のために私たちの教会はさらなるチャレンジに直面しています。この時こそ一人一人の回心や共同体の刷新への決意が求められています。それは組織の刷新だけではありません。荒れ野の状況にあって神様の望まれる教会のあり方を問い直し、積極的に参加することです。私たちはみ言葉に耳を傾けながら、これから歩むべき方向を一緒に探って見たいです。そのために皆の声、皆の参加は必要です。今日こそ神の声、また神の祝福を受け、善意ある世界の人々の声に耳を傾けながら、回心の恵みをいただき、聖霊の光によって私たちが救いに導かれるよう祈りたいと思います。

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