なぜジャンハオはこんなにも愛されるのか
先日、3カ月に渡るZEROBASEONE初のワールドツアー「TIMELESS WORLD」が終了しました。
無限の時空間という、「ずっとに一緒にいようね」というメッセージが込められているようなこのツアーで、たくさんの感動をもらい、最終日は泣きながら家に帰りました。怖いね。
なかでも私が最も感動したシーンが、ジャンハオのソロ曲「Always」での一幕です。
今ツアーで待望の初披露となり、ファンによって生み出された掛け声が都市を渡ってどんどん大きくなり、最終日も本当に大きな「ジャンハオサランへ!」が聞こえて涙が止まらず!
そして曲の終わりには、バラバラだったジャンハオを呼ぶ声がひとつになって、「ジャンハオ!ジャンハオ!」と盛大なジャンハオコールになりました。
このツアーで1番感動したシーンに大泣きしながら、「なぜこんなにもこの人は愛されるんだろう....」と、答えのないようなことを考えました。
今回はタイトルにある通り、ジャンハオがどうしてこんなにも愛されるのか、もしくは、どうしてこんなに愛されてると私が感じられたのか、ということを書いてみようと思います。
愛されアイドルって?
まず断りを入れておきたいのが、アイドルという職業自体が「愛される職業」とも言えるし、ZEROBASEONEのみんなももちろん皆愛されている、ということです。
一旦、ジャンハオやZEROBASEONEを抜きにして、「愛されるアイドル」という存在について考えてみたのですが、皆さんは愛されるアイドル、愛される人、と聞いてどんな人物・どんな場面を思い出すでしょうか。
私は下記のようなものが思い浮かびます。
共通することとして、「作り込まれすぎていない感じ」や「かわいらしさ」があるのかなーと思います。
人間らしさ、ともいえるかもしれません。
確かに、ジャンハオの大きな魅力の一つにも「自然さ」や「かわいらしさ」があります。
大きな音にびっくりしたり、温かい声援に涙したり、ぴょんぴょん跳ねてステージを走り回ったり、ライブでぶっちゃけたトークをしたり....
そんな姿を見て、「この子を感動させたいな」「この子を笑わせたいな」と思います。
ただ、自然体でいてくれるから→感動させたくなる、だと何か物足りない気もして、このツアーで感じたことを思い返してみることにしました。
ジャンハオは愛を受けるのが上手い
ずばり、これ↑に尽きるかなと!
たくさん考えて出した現時点での結論なのですが、ジャンハオの愛され力の核は「愛を受けるうまさ」にある気がしました。
アイドルという職業は、ファンに愛を「与えてくれる」職業というイメージがなんとなくあります。
ファンからの目線で言うと、「たくさん愛をもらった分何かで返したい!応えたい!幸せにしたい!」という感情のプロセスをSNS上でもよく目にしますよね。
実際に私自身、ZEROBASEONEのコンサートに行くと、彼らがくれるまっすぐな愛のこもったコメントやパフォーマンスに大きな声で応えたい!と、キャッチボールを楽しんでいるような感覚になります。 良いグループ!
そんな中でジャンハオが特徴的だなーと感じるのは、このファンにもらった愛の「受け方」です。
例えば、Alwaysの歓声が大きかった時は、感動を露わにして👍(いいじゃん!の顔)をしながら歌ってくれたり、
母国に凱旋してたくさんの声援をもらった日には
「本当に関心をたくさんもらったの!感動した!!」
とチャットを送ってくれたり、....
ジャンハオは愛をもらうことに、躊躇や謙遜を見せない人だなぁと思います。
そしてその素直な反応を通じて、、「あぁ、ジャンハオ今日も楽しそう!やっぱり、こうやって応援してもらうと嬉しいんだ!」と、自分たちの行動を肯定してもらっているような気持ちにもなります。
例えるなら、誕生日プレゼントをあげたときに、「そんな、悪いよ...」と言われるんじゃなくて、「マジ?!ありがとう!!」と言ってもらってる感覚です!!これ言われたら、来年もっと良いものあげたくなりませんか?
余談ですが、ジャンハオがたびたび言う「愛してね!」という言葉も、本当に愛を受けるのが上手だな、と思う瞬間です。「愛してね!」って言えるのは、愛を受ける準備ができているからこそのセリフだと思う訳です。
「愛してね!」と度々口にしてくれてるのを見ると、ジャンハオにとってのアイドルは、受けた愛を何倍もにして返す存在、なのかもしれない!と感じます。
愛を受けて素直に喜び、その反応を受けたファンがより大きな愛を送り、そしてジャンハオはさらに喜び...
上記のような連鎖を通じて、ファンを導いてくれているのかもなぁ。とAlwaysを通じて感じました。
愛を投げるのはめちゃくちゃ名ピッチャー
愛を受け止めることが得意なジャンハオについて書きましたが、実はここがもう一つの肝だと個人的に思っているのが、ジャンハオの愛の伝え方です。
先ほどキャッチボールの話をしたので、野球に例えると、ジャンハオが私たちに投げてくれるボールは、返しやすい球ばかりではありません。
普通、愛を受けるのが上手だったら、返す(投げる)のも上手だと思うじゃないですか...。
「優しいゆっくりした球を投げてほしいなぁ」と思ったら、豪速球で球が返ってきたような感覚を、ジャンハオペンの方は経験したことがあるかと思います。
セクシーなことをしてほしいなぁと思ったら、ちょっとおちゃらけたり、
愛嬌をしてほしいなぁと会場が呼びかけても、出力50%くらいのもの(ごめんね)が帰ってきたり、
突拍子もない面白いチャットが来たり...
かと思ったら泣かせるチャットが来たり...
ジャンハオがくれる愛はいつもわかりやすくて易しいキャッチボールではないけれども、その変化球を「ジャンハオ今日はこう言う風に届けたいんだな笑」と楽しめる人が、みるみるジャンハオに魅了されてきたのだと思います。
(キャッチャーだと思ってマウンドにいたのに実はバッターでした〜みたいな毎日です)
そんな変化球の毎日だからこそ、うまく球を捉えられた時に、私たちは本当に快感を覚えるのかもしれません。笑
私はジャンハオが日々投げてくる変化球に徐々に対応しながら、どんどんジャンハオという人間の面白さに興味を持ち続けてきました。
まさにこのnoteでも言及したことなのですが、
まさにこの通りの人なんだな、と改めて感じました。
【ジャンハオが愛を渡す時】
愛を投げるのが変化球→絶対この球受けるぞ〜!と構える→合う時もあれば外れる時もある→もっと知りたくなる→また投げてくる .... の無限ループ
(ピッチャーとバッターみたい)
【ジャンハオが愛をもらう時】
ためらいなく素直に喜んでくれる→喜んでる!もっと幸せにしよう!と思えて楽しんで応援する→もっと喜んでくれる ...の無限ループ
(ピッチャーとキャッチャーみたい)
こう書いてみると、愛を渡す、と愛をもらう、が別軸で存在してるような不思議な感覚になりますが、だからこそ、ジャンハオを応援するのは楽しいのかも。と思います。
私たちが愛を送る時も、ジャンハオが愛を送る時も、「お互いがやりたいようにやってる」、その結果どっちも幸せになってる!
ジャンハオから愛をもらったから返すのじゃなくて、送りたいから送ってる、そんな気持ちが私にもあります。
ジャンハオもそんな気持ちで、気楽にアイドルをしてくれたら嬉しいな!
思えばこんなわかりにくい文章をつらつらとあげたくなるのも、ジャンハオの変化球をどうにか読み切ってやるぞ!!という気持ちからなのかもしれませんね...
多分ジャンハオからの変化球を完全に読み切れる日は来ないけど、ジャンハオが素直に愛を受けてくれる限りはこちらも全力で愛を投げさせていただきますので、引き続きよろしくお願いしま〜〜す!
2024.12.09
ジャンハオから毎日空振り三振を喰らっている銀鮭