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アートは自分の好きなものを好きだと感じる体験だった。

研ぎ澄まされた感性に触れる。

アートや芸術って聞くと、なんだか小難しくて、手を出しづらい印象を持っていた。
そんなことをやってる人は、自分の周りにはいなかったし、別世界の住人だろうと。

そんな自分が、あるきっかけでいくつかの美術館や個展に行き、感じたことがある。

研ぎ澄まされた他人の感性に触れることで、自分の感性を発見し、掘り起こすことができる。

今回、様々なアートに触れる機会があった。
その中で、自分の好きなものとそうではないものがあることに気付いた。

そんなことは当たり前だと思うかもしれない。
でも僕は、全てのアートは素晴らしいはずで、そんな素晴らしいアートは全て好きになるだろうと勘違いしていた。

実際に美術館に行くと、ほとんどの人がこれもすごい、あれもすごいといった雰囲気で鑑賞しているように感じた。僕も最初は同じように鑑賞していた。

しかし、少しずつ違和感を感じていくようになった。
すごいのは分かる。でもさっき見たやつより、グッとこない。
そんなことが繰り返されていくうちに、ふと気付いた。
自分の好きなものとそうでないものがある。
そこにはなにか一貫した共通点みたいなものがあるようだと。

そこに気付いてからは早かった。
それぞれのアートの凄さや意味を理解することだけではなく、自分が好きかどうかという視点で観ていくと、どんどん楽しくなっていった。

僕が観に行ったアート作品の多くが、すでに素晴らしい功績を残しているアーティストの作品で、それは究極に研ぎ澄まされた個人の感性で作り上げられている。
そういった複数のアートに触れることで、自分の感性を発見し、掘り起こすことができたのかもしれない。

自分の好きなものってこういうものだったのか!という新たな感動を体験することができたのだ。

好きなものを好きと言える社会

アートって簡単に言えば、表現することだと思う。
今回、僕が体験した感動の裏で、いかに自分の感性や好きなことを今まで表現してこなかったか、という問題を突きつけられた。

ただ、これは自分だけの問題ではないはずだ。

これまでの人生を振り返ってみると、自分が好きになったものは、みんなが好きと言っていたもの、もしくはテレビや雑誌で有名人が好きと言っていたもの、このどちらかだったかもしれない。

就職して会社員となってからは、データ重視で論理的に判断することが多く、自分の感性や価値観で判断することはめっきり無くなっていたかもしれない。

果たして、この日本社会は自分の好きなものを本当に好きと言えているか。

近年、ビジネスシーンで、アートの重要性がよく話題になっている。
それは、データや論理だけの判断であれば、コンピュータを使って誰でも簡単にできる時代になってきたからではないだろうか。
いまの時代だからこそ、違いを生むのは人の価値観や感性のはずだ。

もっと日常的に自分の感情を表現し、好きなものを好きと言える社会にしたい。

その第一歩として、アートは最高の教材だと思う。
日常生活でもっとアートの話題を増やしていきたい。


アートは自分の好きなことを好きだと感じる体験だった。


以上 ホセ(@ttykwn)

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