![見出し画像](https://assets.st-note.com/production/uploads/images/62532804/rectangle_large_type_2_c43d900dda9caf70887dfa4a99312086.jpg?width=1200)
英語学習で気づかなかったこと
こんにちは。
英語を学び始めてから今年で20年。恐ろしいですね。
自分が今学んでる外国語の中で、一番遠回りしたなあ、と思うのが「英語」です。
正直、英語は、語学学習の仕方をちゃんと身に着けてから学び始めていたら、もう少し早く、楽しく、そして自信を持って身に付けられたんじゃないかな・・・と思うのです。
もちろんこれには学校の英語教育にも原因があるのは間違いないです。ですが、学校の英語教育は、大人数のクラスで画一的に授業をしないといけないこと、それから、そもそも学生間の優劣をつけるための目安であることを考えると、仕方ない気もするのです。
ともあれ、自分が英語で「遠回りしたな」と思うのは、主に次の理由です。
①発音を軽視した。
②文法を「使い手」の側から観察しなかった。
まず、①についてですが、僕の通っていた中高では発音記号の勉強は全くしませんでした。
日本人同士では、変にネイティブっぽい発音をするのが忌避されるので、自分からも練習しないし、先生も日本語訛りの発音。
それで、音の体系が割と似ているドイツ語等なら良いのですが、英語は日本語の倍以上の母音や子音があります。あれでリスニングができないのは当たり前です。
「自分で発することができない音は、耳では聞こえない」
「スペルから受けるイメージと実際の音との間の乖離が大きいと、全く聞き取れない」
後の学習で痛感するこの事実に、当時は全く気付いていませんでしたし、気付く必要もなかったのです。そこは受験勉強の重点ではなかったからです。
文法事項や単語などは20代を超えても学べますが、音の判別はもっと若いときじゃないと身につかないので、これは凄く非効率でした。
②については、知識の多寡を優劣の基準にする学習だとどうしても気づかない点です。
文法偏重になるのは分からないでもありません。「言葉では説明できないもの」の多い語学学習の中で文法は数少ない「言葉で説明できるもの」であり、点数で差をつけることができるからです。
そうすると、英語も地歴のような暗記科目と同じように学ぶことができ、学んだ文法を武器にして他の学生や先生にだって対抗することができます。
この前、英語について、文法事項を理由に挙げて相手を論破している動画を見て、なんだかモヤモヤとした気分が残りました。
「それ(=文法)だけじゃないんだけどなあ…」
文法で全てが説明できるなら、ネイティブより上手いノンネイティブの数はもっと増えていても良いくらいです。
一方で、文法事項こそ、ノンネイティブがネイティブにタメを張れる数少ない点なので、文法自体は大事なのですが。
自分が何に気づいていなかったかというと、「その外国語が使えるようになるには、どれだけ細かい事項を意識的に学ぶ必要があるか」という点です。
「こんな文法事項、使わないよ…」ではなく、「こんな文法事項、いちいち説明を受けて覚えるより、たくさん触れたら身に付くんじゃない?」です。
例えば(語法ですが)「each other」と「one another」の使い分けとか・・・文法書や辞書に載っているのは便利だとは思うのですが、言葉で説明できるほど意識して覚える必要はあるのか?と思うのです。
***
文法偏重の学習であまり身に付かないものの1つは、「使用頻度」という尺度です。
これを身に付けるは、「まれ」とか「よく使う」と教本に書かれているだけでは足りず、個人の体験が必要になります。
実際にその言語を聴いたり読んだり、「使い手」の立場に立ってみると、「よく見かける」「あまり聞いたことない」という「頻度」を基準に、「この表現は正しい」「これは不自然だ」と判断するようになってきます。
まさにこれこそ、ネイティブが幼い頃から成人になるまで、その言語にどっぷり浸かることで身に付けてきた「語感」なのだと思うのですが、文法や語法の細かい点は、こういう「頻度」や「慣れ」で解決できることが少なくありません。
そして、言語の運用面では「説明できること」は別に評価されないので、「うまく言えないけれど、なんだか使い分けられてる」でOKなのです。
これが知識重視の学習になってしまうと、文法の知識の多寡が優劣の基準になるので、細かいことまでルールを覚えようとしてしまうのです。
もちろん、意識的にルールを覚えた方が良いという人もいると思うので個人差はありますが、どっぷりハマりすぎるのは非効率だと今の僕は思います。
これは、「使用者」の観点のなかった状態だった学習初期の僕のドイツ語でも見られたのですが、その後「使用者」の視点を意識するようになってからは、あまり文法の細かい点までは見なくなりました。
学校英語は、古文や漢文を学ぶときの感覚と近いですから・・・。そりゃ使用者の視点がないわけだ。
このように、受験科目になった悲しい英語の宿命も理由にあり、なかなか語学の勉強法に辿り着けなかったので、最近、遅ればせながら英語を学び直しています。
とは言え、文法や語法の勉強はせずに、ひたすら本を読んだり動画を見たりしていて、あまり人とは話していません。
アウトプットは大事なのですが、「使用者」の視点に立って「あ、この表現、自分も使いそうだな」という風に、能動的に読解・聴解をするのは、アウトプットばかりするよりも効果的だとも思うのです。
「文法学習が悪い」とか「習うより慣れろが大事」とかではなく、「理論」と「実践」の最適な分量を、個人個人で見つけていくのが、一番良い勉強法なんだな、と思っています。
こんな感じで、今は何かのテストの高スコアを目指す!といった目標はなく、一見遠回りで非効率には見えるけれども、一番役立ちそうな「能動的なインプット」で英語を勉強しているところです。
長くなりましたが、ここまでお読み下さりありがとうございました!