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「国際人」とは
大学時代、サークルの新歓のために、同志社の寒梅館の入口近くにテーブルとベンチを出して新入生を座っていたときのこと。
どこからともなく自転車に乗ったオジサンが現れ、降りて私たちの前に近寄ってきました。「模擬国連」と書かれたチラシをじっと見ると、「君たちは、『国際人』とは何か分かっているのかっ?」と尋ねてきたのでした。
先輩が「ああ、来たよ、ヤバい人・・・」という顔をしながら適当にオジサンをあしらったところ、「俺が考える『国際人』ってのはなあ」と話し出したオジサンは、やおら自転車にまたがると、「※◇△○♪~ッ!」と、聞き取れない言葉を発して逃げるようにまた校門から外に出ていったのでした。
どうとでもない記憶なのですが、「国際人」という言葉を聞くとなぜかいつもこの時の情景が目に浮かびます。
外交官になった後は忙しくて「国際人」について特に考える暇がなかったのですが、辞めてドイツに戻り、多国籍の同僚の中で働くようになってから、ぼんやりと自分の考える「国際人」のイメージが具体化してきました。
私の同僚の多くは長い間ドイツに住んでいるのにドイツ語が話せません。それでもフランクフルトではそこまで生活に苦労はしないのだと思います。
彼らは英語を話し、外国人同士の限られた空間の中で生き、言語の壁もあって地元の人との接触はあまりありません。一方で、異文化については開放的で、興味があり、政治思想的にも先進的・進歩的。母国の同胞とはどこか異なる、「典型的な○○人」という枠には収まらないキャラをしています。
こんな、多国籍だけど無国籍、母語や文化は違うのに、考え方や生き方の面でなぜか共通点や一体感のある集団。
これが「国際人」なのかなと私は考えるようになりました。
彼らと付き合うのはそれはそれで楽しいのですが、
ふと「あれ、僕たち現地社会から離れてない?」と我に返る瞬間があります。
外国で出会う第三国人って、もしかすると多かれ少なかれこういう傾向があるのかもしれません。
完全に現地の社会に溶け込んでいるわけではない、でもかといって異文化に興味がないわけではない。むしろ興味があるからこそ外国に来ている。そうやって、現地社会とは別のところで、自分たちのコミュニティを作っている。
現地で気が合う人ができたとしても、そう言う人は外国人と無縁な完全な地元の人、というのはよっぽど社会に溶け込むのに成功した人だけで、多くの場合は、外国語や文化に興味があったり、自分自身も外国駐在経験があったりと、どこかしら少し地元の人と違う雰囲気のある人と繋がることになると思います。地元の人が外国にそもそも接点がなければ、出会うこともありませんし。
その点で、こういう「国際人」は自分たちも「典型的な○○人」ではないし、どの国に行っても「典型的な○○人」とは友達にならないのではないか、と思ったりします。
この、現地社会から少し遊離した、ふわふわとした存在で、だけど国境を超えて緩く繋がっている集団。ここにいる人たちのことを「国際人」と言うのかな、と思いました。
まさに「国の際にいる人」たちです。
そう考えると、世間で言われる「国際人」の何となく憧れのあるイメージと実際の「国際人」は違うんじゃないかな、と思いました。
皆、色々外国を知っているようで、多分どこの国もその根底から知っているわけではない。もしかしたら母国への帰属意識さえも薄れてしまっているのかもしれない。例えば今右傾化していると言われる欧州で、彼らの母国の政治について話をしたとしても、彼ら自身はリベラルであることが多いので、母国で政治に不満を抱いている人たちに共感したり、理解したりしている場合は多くありません。そうすると、あまり互いの国の実態がよく理解し合えず、「何か違う風に考えている人もいるけど、僕たちには理解できないね」という結論に落ち着いてしまいます。
こうして、悪く言えば「根無し草」の要素が私の「国際人」のイメージに付け加わることとなりました。
私も含めて、こういう人たちが、こういう人たち同士の中で、自分たちの国を代表して色々文化を紹介したりするのって、昔の上流階級のサロンみたいな感じで、どこかしら浮世離れした感じがします。実体がないというか。
改めて考えれば、これで良いのだろうか?と思ったりするのですが、これが「国際人」という1つのコミュニティなのだと思います。
なので、別に皆が皆国際人になる必要はないと思います。
世界を渡り歩いているようで、実はふわふわ浮遊しているだけかもしれない。1つの国に縛られない、国境を超えて繋がりあう人たちが「国際人」。それゆえに、現地にも母国の地にも足がついていない危うさがあるのが、「国際人」だと私は思います。
こんなことをオジサンに言ったところで、オジサンはまた何かを叫んで自転車に乗って走り去ってしまうのでしょうが、
「国際人」とは何かというテーマを私が真面目に考えるきっかけを与えてくれたあの今出川のオジサンに、私は感謝しています。
【画像】Gerd Altmannさま【Pixabay】