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知られざる名所・旧東独シュヴェリーン

つい昨日(2024年7月27日)、ドイツ北東部の湖の街シュヴェリーンのシュヴェリーン城が世界文化遺産に登録されました。

そうとは知らずに、たまたま世界遺産登録の瞬間にシュヴェリーンに居合わせていましたので、少し旅行記(ほぼ写真集)を書こうと思います。

シュヴェリーン(Schwerin)という街の名前を耳にしたことのある日本の方はどれくらいいらっしゃるでしょうか。

私の周りのドイツ人でさえ、「どこ?」と聞き返すほどの知名度。
とは言え、私の知人・友人のドイツ人の大半は旧西独地域の出身。
総じて、旧西独の人たちは旧東独地域に対する関心が薄い気がします。

私がこの街の名前を知ったのは、昔ドイツの全16州の州と州都の名前を暗記したときです。

バルト海に面したドイツ北東部の州「メクレンブルク=フォアポンメルン州」とその州都「シュヴェリーン」の名前は、特に旧西独地域の人からするとなかなか思いつかないでしょう。

そのため、ドイツの州・州都クイズでこの組み合わせを即答できれば、尊敬を集めること間違いなし。

「シュヴェリーン」と言って、「何その街、聞いたことない」「何かあるの?」と笑って答えたドイツの友人に、訪問した今、改めて言いたい。

自国にあるこんなに美しい街を知らないなんて、損している、と。

ハイデルベルク城やノイシュヴァンシュタイン城がもてはやされる中、どうして湖上に浮かぶおとぎの国の城にこれまでスポットライトが当てられてこなかったのか、不思議に思えるほどです。

やはり旧東独地域は、観光面では旧西独に比べまだまだ未開拓のようです。

さて、シュヴェリーンの位置について、ここで改めて説明します。

グーグルマップより

旧東独地域とはいえ、シュヴェリーンはハンブルクから特急(ICE)で1時間弱で行ける場所にあります。

挨拶も「モイン(Moin)」と、ハンブルクやリューベックとの距離的近さを感じさせます。

「7つの湖の街(Stadt der sieben Seen)」の二つ名を持つ風光明媚な街です。

大聖堂の鐘楼からの眺め

ドイツ全16州の一角を成す州都でありながら、人口はぎりぎり10万人に満たない程度。こぢんまりとした街ですが、かつてのメクレンブルク=シュヴェリーン大公国の都が置かれた由緒正しい街でもあります。

シュヴェリーン城の歴史は10世紀にスラブ系の部族が立てた砦まで遡ります。ただし、今のシュヴェリーン城自体の歴史は浅く、19世紀の大公フリードリヒ=フランツ2世の治世の大改築を経て完成しました。

このお方が大公。

その後、第二次大戦末期にソ連軍に接収され、城の調度品の多くが失われ、更に共産党(ドイツ社会主義統一党)支配下で城内は学校として使用され、城はますます損傷していくこととなりました。

例えば、この玉座はソ連軍によって一時は棄てられたのですが、その後奇跡的に発見されたのだそうです。

城の修復工事は旧東独時代にも行われましたが、本格的に始まったのは90年代以降。それでもなお、城の中で修復が完了したのはわずか一部。世界遺産に登録された今、さらに修復が進むことを願います。

この城の半分は州議会としても使用されています。
庭園も大変美しく、カフェのテラスに腰掛けて、青空と湖の間を時がゆったりと流れてゆくのを満喫することができました。

確かにこの街は、湖と城を除けば、そこまで何か見どころがあるというわけではありません。

ですが、湖に浮かぶ城を眺めながら静謐なひとときを過ごすだけでも、充分訪れる価値はあると思います。
何たって、シュヴェリーン城は、どこから見ても、いつ見ても絵になるからです。

小さな街ながら、意外と城の周りには外国人観光客が多くいました。特に土曜は平日に比べ、その数が格段に増えたように思えました。

世界遺産に登録されたので、今後その数は更に増えていくのではないかと思います。

ドイツ人の中でも知る人の少ない美しい街シュヴェリーン。
是非皆さんにも、足を運んでいただければと思います。

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