【ドイツ】大学占拠と反イスラエル
イスラエルとハマスの戦闘行為に対する大学生による反対デモの波は、反イスラエルの「は」の字も言えない雰囲気のドイツにもやって来たようです。
冒頭の文は、ベルリン自由大学キャンパスの大学生による占拠で、一部の教員が学生たちの行動を支持する声明を出したことについてのベルリン市長の発言です。
「大学生による」と書きましたが、独誌「シュピーゲル」オンライン版は「活動家(Aktivisten)」と書いているので、学生でない人も含まれているのかもしれません。
5月7日(火)に、ベルリンにあるベルリン自由大学で約150人の「活動家」が、大学の中庭(Hof)の占拠とテントの設置を試みたところ、大学側は直ちに警察の出動を求め、少なくとも79人が逮捕されました。
これに関し、200人以上の教員が「ベルリンの大学教員による声明」で、「親パレスチナのデモ隊」を支持し、議論を呼んでいます。
同誌によると、「ベルリンの大学の教員らによる声明」に書かれていたのは次のことのようです。
これに対して、ベルリンのウェグナー市長は「この声明の書き手に私は全く理解を示さない」と言い、冒頭の「反ユダヤ主義とイスラエル・ヘイトは意見の表明ではなく犯罪行為だ」と発言。
また、ウェグナー市長の属するキリスト教民主同盟(CDU)の姉妹政党であるキリスト教社会同盟(CSU)のリントホルツ院内会派副代表は、この声明を「ドイツの学術が落ちるところまで落ちた」ことを示すものだと述べ、「教授や教員が反ユダヤ主義者、イスラエルへのヘイトを表明する暴徒(Mob)を擁護しようとすること」については一切理解を示さないと述べました。
連邦政府のシュタルク・ワッツィンガー教育大臣(自由民主党(FDP)、中道政党)も、「愕然としている。イスラエル及びユダヤ人へのヘイトについて明確に反対する代わりに、大学占拠者たちを被害者扱いし、暴力を矮小化している」と批判しています。
……いかがでしょうか?
アメリカでの大学生による大学占拠の話などとは、だいぶ雰囲気が違うかもしれません。
教員側は集会の自由と表現の自由の保障を求めた一方で、
政界は、イスラエルに関するものに表現の自由は認めない、としているようです。
第二次大戦中のユダヤ人虐殺の反省を踏まえ、ドイツでは反ユダヤの発言は表現の自由の範囲外にされ、犯罪行為として処罰されます。
これが、中東問題におけるドイツの立場を難しくしています。
そして国内的には、「表現の自由」の境界線を危ういものにしています。
難しいのが、「ユダヤ人への批判」「イスラエル人への批判」「現イスラエル政権への批判」こういったものが、一緒くたに「反ユダヤ主義」「イスラエル・ヘイト」のレッテルを貼られてしまいがちなところです。
例えば、同じく「シュピーゲル」の別の記事では、「親パレスチナ (propalästinensisch)」という形容詞は「反イスラエル(antiisraelisch)」という形容詞と交互に使われており、ほぼ同義で用いられているのが分かります。
「交互に」と言うのは、ドイツ語では文体上、同語反復を避ける傾向にあり、似た表現(と、書き手が思っているもの)を使い分けるためです。
「反イスラエル」と言っても、反イスラエル人なのか、反イスラエル国家なのか、反イスラエル政権なのか、またそれが批判なのかヘイトなのか、色々グラデーションはあるはずです。
しかし、メディアではそのグラデーションはあまり考慮されず、「反イスラエル」で一括りにされています。
そして、「反イスラエル」は「反ユダヤ(antisemitisch)」という形容詞とも交互に使われます。
となると、「親パレスチナ」=「反イスラエル」=「反ユダヤ」という方程式が成立することになり、反ユダヤは表現の自由の保障の外だから処罰されるべき、となるわけです。
だからこそ、「学術界はここまで堕ちたのか」という批判になるわけです。個人的には、このコメントは非常に政治的なもので、そもそも政治家が学界に物申すこと自体、「ここまで政界も堕ちたのか」と感じてしまいます。
結局、ユダヤ人とイスラエルに関わるあらゆることを全部「反ユダヤ=犯罪行為」で括ってしまうことで、健全な議論と明らかな扇動行為との区別が困難になっている。それが今のドイツの現状なのかなと私は思います。
なお、「親パレスチナ」と言う形容詞には、同義に扱われることのある形容詞が別にあり、それが「イスラム主義(islamistisch)」です。
「ことのある」と書いた通り、必ずしもいつも同義で扱われるわけではありませんが、同じ文脈で交互に出てくることがあります。
最近、ハンブルクで「カリフ国」の建国を求めるデモが起きて議論を呼んだことも理由にあると思います。実際、残念ながら親パレスチナデモをイスラム過激派が奇貨として利用している可能性は十分にあります。また、10月7日以降、ドイツでも反ユダヤ主義が強まりを見せています。
ここまで来ると、「イスラエル政府を批判する人は、反ユダヤであり、イスラム過激派の信奉者だ」みたいな方程式が出来上がってしまって、そもそもドイツでパレスチナの立場を支持することすら困難になってしまいます。
いや、積極的に支持していなくても、イスラエル政府の立場に消極的な発言をするだけで、反イスラエルと捉えられるかもしれません…。
しかも、ドイツはヨーロッパ最大の経済大国であり、EUではフランスと並ぶ2大国の1つで、EU内の意見形成にも大きな影響を与えます。
ドイツ国内にある「親パレスチナ=反ユダヤ=イスラム過激主義」という方程式をヨーロッパの政治の舞台まで持ちこんでしまうと、EUもイスラエルのすること一切に批判できなくなってしまい、自由な外交ができなくなりかねません。
イスラエルによるガザ攻撃を批判すれば「反ユダヤ主義者」のレッテルを貼られ、かと言って親パレスチナ派を批判すれば反イスラムの極右を利することになる。ドイツは自らの歴史が招いた大きな矛盾の葛藤のさ中にいます。
私はハマスも現イスラエル政権も支持はしていませんし、ドイツも外交上これだけの代償を払わなければならないほどの罪を犯したとは思うのですが、それでも、今のドイツの言論空間に息苦しさを感じています。
元々ドイツの言論空間にはドグマ的なものを感じていたのですが、最近それが更に強まったような気がし、「ここはロシアか中国なのだろうか?」と思うことさえあります。
ですが、歴史の動く瞬間をその渦中で見たいと思ったのがドイツに戻ってきた理由でもあるので、私はまだ暫くドイツに留まると思います。
日本は日本で行く末が心配ですが、ドイツもドイツで気を揉みます。
【「シュピーゲル」の記事はこちらです⇩】
Bildungsministerin Stark-Watzinger »fassungslos« über offenen Brief von Uni-Dozenten (msn.com)