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語「学」、やめましょうか

他の私の記事を読んでくださったことのある方であればお気づきと思いますが、私はいわゆるガリ勉タイプで、そういう詰め込みの勉強が割と好きな人間でした。

英語が好きだったのはまさに中高のときのあの受験英語的な英語学習が性に合ったからで、それからも外国語の勉強は文法書や問題集をひたすらガリガリと問いていく・・・という感じでした。

私がドイツ語を2外に選んだのには色々理由がありますが、やはり伝統ある第二外国語として硬派な教材が多く揃っていたことが理由の1つです。逆に、それまで興味のあったスペイン語を手放してしまったのは、私が学生だった2007年~2011年には今ほど教材がなかったためもあります。

あの頃からべレ出版の語学書をジュンク堂や大学生協で見るようになり、「しっかり学ぶ」シリーズは私のガリ勉体質によく合いました。韓国語とドイツ語の基礎力が付いたのは、べレ出版のお陰といっても過言ではありません。

社会人になり、職場からドイツ語を学べと言われたあと、趣味として始めたのがフランス語の学習で(実は3回生の冬に現実逃避で既に学習を再開していました)、それからも基本的に「Practice Makes Perfect」シリーズのフランス語文法問題集を解きまくって勉強してきました。

フランス語は英語圏では第1外国語としての伝統があるので、結構ドリル的な教材が多く存在するようです。

振り返ってみると、私は語学をずっと受験英語の延長で勉強してきていました。どうしても「勉強」にしないと気が済まない感じだったのです。

週末の余暇の過ごし方が机に向かって問題集を解く、でしたから、「趣味は受験生です」と言っているような、奇妙な人間でした。

それが最近になって、妙にやる気が落ちてきました。
文法問題集を目の前にすると、やる気が萎えてしまうのです。

もしかしたら歳なのかもしれないと思いつつ、
どうして自分は語学に対してこんなに勉強勉強した付き合い方しかできないのだろう、と振り返るきっかけにもなりました。

勉強勉強した付き合い方の一例が、
「学習する言語を絞らなければならない」という思い込みです。

もちろん、ある言語を極めるには学習言語数は少ないに越したことはありませんが、残念ながら私はかなりの浮気性です。

「ドイツ語と英語だけ(だけ?)にしよう」と心に決めても、
「あー、フランス語・・・韓国語・・・ロシア語も学びたいな・・・」と直ぐに心に甘えが生まれ、

「じゃあせめてあと1言語だけ許すことにするか」と勝手なルールを設定してしまうが故に、

「フランス語、スペイン語、イタリア語、どれを学ぶのが良いか?」
「韓国語・・・韓国語は棄てないといけないのか・・・?」

という、永遠に解決しない不毛な悩みを生んでしまっているのが現実です。

読書記録(読んだ本だけを記録しています)も付けるようにしていますが、
これも元々は語学の一環としてインプット量を増やすためのものでした。

これも学生時代に感銘を受けた「英語達人塾」なる本に書かれていた「年間2000頁英書を読もう」という「課題」が頭に強く刻まれていたからでした。ちなみにこの本は硬派の方には本当にお勧めです。

しかし、私の現状は、「ドイツ語のページ数を稼ぎたいから独訳を読む」「内容はともかくフランス語の本だから読む」という本末転倒な体たらく。

本を読むことに徹した結果、新聞記事などカウントしないことに決めた情報源を読まなくなってしまいました。これはむしろ事態を悪化させています。

根が融通の利かない性格だからかもしれませんが、どうして頑ななのか。
もっと楽に構えたら良いのに。

読みたい本があれば読めば良いし、
学びたい言語があれば何もC2を目指さずに取りあえず勉強してみたら良い。
「日本史と世界史どちらを選ぶか」「公民は現社か倫理か」みたいな受験生的な思考は、もういい加減やめたほうが良いんじゃないかなって思います。

歳も取ってきたので、根を詰めると肩も痛くなるし、座学は腰が痛くなります。

と言うことで、語「学」からは少しずつ距離を置いていき、
融通は利かないながらも利かないなりに、もっとリラックスして外国語と付き合いたいなと思います。

そう言いながら、明日アマゾンでフランス語のドリルを購入したりしないと良いのですが。「禁断症状」が心配ではあります。

ここまでお読みいただきありがとうございました!


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