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ドイツにある「ドイツ」という場所
英語では「ジャーマニー」、フランス語では「アルマーニュ」、ポーランド語では「ニェムツィ」と国によって呼び方の異なる「ドイツ」は、ドイツ語では「ドイチュラント」(Deutschland)と呼びます。
ドイツ語で「ドイツ語」や「ドイツ人」は「ドイチュ」(Deutsch)と言います。
可愛いですね。
日本語の「ドイツ」はドイツ語から来たのかと思いきや、どうやらオランダ語由来の言葉のようです。
オランダ語で「ドイツ人」を「ダウツ(Duits)」と言い、そこから来ているのだとか。
確かに、原語が「ドイ『チュ』」なら日本語読みは「ドイ『ツ』」ではなく「ドイ『チ』」になりそうだなと思っていたので、オランダ語由来説に妙に納得しました。
ちなみに、韓国語ではドイツを「独逸」の韓国語読みを使って「トギル」、中国語では「徳意志」(大雑把に発音を書けば「ドイチ」)略して「徳国」と呼ぶので、ドイツをドイツ語名に基づいて呼ぶのは日本語だけではないようです。
というわけで、ドイツ語ではドイツのことを「ドイツ」とは言いません。
ちょっぴり残念な気もします。
しかし、実はドイツには「ドイツ」という名前の場所があるんです。
論より証拠、以下のグーグルマップをご覧あれ。
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ドイツ第四の都市・ケルンは、ライン川の両岸に広がる街で、大聖堂を始めとする中心地は西岸に位置しています。
ケルン中央駅を出発し、ライン川を東へ渡る電車に乗っていると、次の停車駅は「ケルン・メッセ・ドイツ」(Köln Messe / Deutz)だと車内アナウンスが入ります。
この「Deutz」の発音が日本語の「ドイツ」とほぼ同じなので、日本語を言われたのかと思わず耳を疑ってしまうほどです。
ここがケルンに5つある地区の中で最大の地区「ドイツ」の玄関口です。
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そもそも、国名の「ドイツ」の由来は、(ラテン語に対して)「民衆に属する(言葉)」を意味する古いドイツ語「diutisc」であるとされています。
一方、ケルンの地名である「ドイツ」は、「カストルム・ディウィテンシウム」(Castrum divitensium)というラテン語、略して「ディウィーティア(Divitia)」から来ているようで、国名の「ドイツ」とは残念ながら関係はないようです。
それにしても、「ディウィーティア」から「ドイツ」までの道のりは結構長そうですね。
実際、10世紀頃に「Tiutium」や「Duiza」という名前を経て、14世紀「Duytz」という呼び名が広まり、やがて「Deutz」という名前になったそうです。
なんと、この過程で「Deutsch」という地名も、ごく稀ではあるものの16、17世紀の地図に現れたことがあるそうです。これがもし一般化したのなら、ケルンの「ドイツ」は名実ともに「ドイツ」だったわけですね。
「カストルム・ディウィテンシウム」とはラテン語で「ディウィテンセースの砦」という意味で、「ディウィテンセース(Divitenses)」とはこの砦に駐留したローマ軍団のことだそうです。
(ラテン語の長音表記が適当なのをお許しください。)
ケルンと言えば、「ケルン」自身も様々な呼び方のある都市名ですよね。英語やフランス語では「コローニュ」(Cologne)と呼ばれます。
「オーデコロン」はフランス語で「ケルンの水」という意味。
「コロニー」に何となく似た響きの通り、「ケルン」の地名の由来は、ローマ帝国時代にこの地に作られた植民市「コロニア・クラウディア・アラ・アグリッピネンシス(Colonia Claudia Ara Agrippinensium)」とされており、この長すぎる名前の中で一番初めの「植民市」を意味する「コロニア」だけが残り、訛って「ケルン」となったようです。
話が脱線しますが、私がドイツへの最初の留学先を考えていたとき、上司や先輩から「ケルンは新しい街並みの大都市でドイツらしくないからお勧めしないよ」と言われたのですが、ケルンという街自体はローマ帝国時代までさかのぼる由緒ある街なんですね。
「ドイツらしくない」だなんて。「ドイツ」があるというのに!
この「ディウィーティア城砦」が作られたのはコンスタンティヌス帝のとき。ちょうと皇帝がキリスト教を公認するミラノ勅令を出す(313年)前後に工事が着工(308年頃)、完了(315年頃)したそうです。
当時はライン川の東側はゲルマン人のフランク族が住む「未開の地」で、植民市「コロニア・クラウディア・アラ・アグリッピネンシス」は度々ゲルマン人の攻撃を受けていました。
そのため、この植民市「コロニア(以下略)」の防衛のために、ライン川に「ローマ橋(コンスタンティヌス橋)」と、植民市の対岸である東側に橋頭堡として、そしてローマ帝国の力の誇示のために「ディウィーティア城砦」が造られることになりました。
(以上、主にウィキペディア情報でした。)
この「ディウィーティア城砦」転じて「ドイツ城砦」の一部は今でもドイツで、つまりケルンのドイツ地区で、見ることができるそうです。
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https://www.koeln-lotse.de/2021/07/31/kastell-divitia-weltkulturerbe-op-dae-schael-sick/
「ドイツ」という名前なのに由来がローマ帝国、しかもその目的がゲルマン人から街を守るためだった、というのが何とも面白いです。
なお、「ローマ橋」(Römerbrücke)が架かっていたところには、今日「ドイツ橋」(Deutzer Brücke)が架かっています。もちろん、この「ドイツ」は国名の「ドイツ」ではないのですが、それでも日本語話者からすると何だか感慨深いですよね。
にしても、あんな川幅の広いライン川に橋を架けられるなんて、やっぱりローマ人の技術力は凄いです。
ケルンに旅行された方なら、鉄道の走る立派な鉄橋「ホーエンツォレルン橋」を渡ってライン川の東岸に行かれたことがあるかもしれません。まさにそこが、当時はローマ帝国とゲルマン人居住地が接する最前線だったということですね。
私もいつか、「ドイツ」に降り立って城砦跡を探索してみたいです。
ウィキペディアの他には、次のサイトを参考にしました。
Von Castrum Divitensium oder Kastell Divitia bis Deutz, dem heutigen rechtsrheinischen Teil der Kölner Innenstadt - Köln Deutz kommt!
Kastell Divitia - Weltkulturerbe op dä "Schäl Sick" - Der Köln-Lotse
Köln-Deutz | Römer in Nordrhein-Westfalen
【画像】Peter Hさま【Pixabay】