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自己表現

「外見と内面、どっちが大事?」とはよく聞く質問ではあるけれど、どっちかを選ぶのはナンセンスではなかろうか。

私は「外見は内面の一番外側」だと思っている。つまり、内面の性格とかパーソナリティだとか自己認識だとか、あるいは「こうしなければ」といった義務感とかが、じんわりと外見ににじみ出てくる。それは服装もだし、顔つきや髪型、爪にも現れる。内面から外見、外見から内面、双方向でグラデーションがかかっている。

そう考えると、ファッションは自己表現なのだな、と思う。

私は普段、自分の内面と服装がカッチリと噛み合う部分を探りながら、洋服を選んでいる。この“自分の内面と服装がカッチリと噛み合う部分”は言葉にすると「コンフォートゾーン」、つまり自分が心地良い部分というふうに認識している。

日によってパーソナリティが異なるので、コンフォートゾーンもコロコロ変わりがち。ジーンズで「ヘルシーな健康女子」になりたい日もあれば、細身のロングワンピースで「ミステリアス美女」を演じたいときもあるし、ミニのタイトスカートで「小生意気な娘」だったり、ジャケットを羽織って「ワーキングマザー」、カーディガンで「文学少女」になる日もある。そのどれもがJosaという人物に集約されたパーソナリティなのだ。

さらに言えば、人生のステージによっても自己認識が変わるので、これまでも何度か選ぶ服装が変わっていった。

10代は雑誌の「non-no」系だったけど、1回目の出産後、「美人百花」にあるような女子アナ系ファッションをやけに好むようになった。関東に住み始めてから都会の子たちに刺激されたり、インスタで海外ガールにインスピレーションを受けたりを経て、宮崎に戻ってからおしゃれな人の多さに驚き、「〇〇系」と括るのをやめて、その日のパーソナリティ(要は気分)に従うようになって、現在。
2回目の出産をしたので、最近のパーソナリティは「魅惑的なママ」である。

殻を破り、他人の目や自分の心の中の呵責を恐れずに自己表現できるようになったのは、2021年のこと。それに伴って服装もコンフォートゾーンを選んでいった結果が、周りの目には「個性的」とか「海外っぽい」とかいう言葉になって映っているのかなぁ、と感じる。もう何にも括れなくなって、投げやりに「Josaっぽい」に着地することもある。

やっぱり「その服、似合ってる」「そのファッション好き!」「どこで買ったの?」「あなたらしいね」とか言われると、素直に嬉しい。

ファッションは、生き様。
ファッションは、コミュニケーション。
ファッションは、自己表現。

無言で自分の生き様や価値観を主張できるもの。「あの人、いいな」と思ったり「その服、ステキ」と思われたり、ちょっとだけ気分が良くなるコミュニケーションツール。

話し下手な私はそれでも自己表現をするために、クローゼットの前に立ち、今日のコンフォートゾーンを探っていくのである。

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