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信用金庫の未来は?地域とともに生きる

皆さんこんにちは。東京は今年雪の日がチラチラ多いなと感じています。おまけにコロナも感染が増えていることもあり、うちにいる時間がとても長くなりました。

そんな中、私は出版社に転職をし、毎日いろんな本との出会いがあります。それもあり、おうち時間を本と共に過ごす、そんな時間が増えました。

友人が最近本を出すという機会をちょこちょこ見るようになりました。素晴らしい本ばかりなので、私も読みつつ、内容を深掘りして行こうと思います。

今回はこちら。

本は「銀行が消える日がそこまで来ているー」というビル・ゲイツの言葉で始まります。ビル・ゲイツはコロナも予言した!なんてお話もあり、私は結構彼の言葉を信じています(笑)

少し話はそれますが、子供の頃親戚のお兄さんが地域の信用金庫に勤めていて、すごく真面目で良い方だなという記憶があるんですけど。

そして、私の母親も「あのお兄ちゃんは信用金庫に勤務しているからすごいね。」ということをいつも口にしていたことを今でも覚えています。

大人になり、仕事で金融機関を取材する機会を持ってから、母親のその言葉の意味がなんとなくわかるようになりました。そして、この本を読んでさらに理解が深まった!地域経済の未来が少し見えた気がします。

ところで皆さんは、信用金庫というものと銀行という区別はつきますか?私は仕事で知ったというのが正直なところです。

銀行と信用金庫との違いは、組織形態にあります。信用金庫は銀行とは異なる組織形態を持つ、非営利団体です。

私が取材していたとき感じたことをもとに書くと、銀行などメガバンクは大手企業を専らのクライアントとしているイメージですが、逆に信用金庫は地域密着で、地元の中小企業に対して親身に財務について寄り添うという姿勢でいるなというところでした。

地域の企業が困ったとき、財務周りの心強きパートナーといったところでしょうか。信用金庫が存在するからこそ地域の横のつながりができ、地域の活性につながる、非常に大切な組織なんだと感じました。

ではその信用金庫、どんな歴史を歩んでいるのでしょうか。日本独特の組織なのか?とても気になります。

明治維新を契機として資本の集中が激化し、農民や中小商工業者が貧窮に陥ったことから、経済的弱者に金融の円滑を図ることを目的に、1900年(明治33年)に産業組合法が制定され、同法による信用組合が誕生しました。ところが、この信用組合は会員以外からの預金が認められないなど、都市部の中小商工業者にとっては制約が多いものでした。そのため、1917年(大正6年)に産業組合法が一部改正され市街地信用組合が生まれました。そして、1943年(昭和18年)には単独法の市街地信用組合法が制定されました。次いで、終戦後の経済民主化の中で、1949年(昭和24年)には中小企業等協同組合法が制定されましたが、同法は比較的着実に進展してきたそれまでの市街地信用組合への制約を再び強くするものであったことから、業界の内外から協同組織による中小企業者や勤労者のための金融機関の設立を望む声が高くなってきました。こうして、1951年(昭和26年)6月15日に信用金庫法が公布・施行され、会員外の預金を扱え、手形割引もできる“信用金庫”が誕生したのです。

なるほど〜。明治維新を契機として、大きいところに資本が集中。農民やそのほか零細企業は大混乱。お金かして!でも貸してくれない!そこで満遍なく資金を貸せるように信用組合が誕生したけれど、会員じゃないと預金認められないよ、お金貸せないよ。預金するだけの資金がない企業はどうするんじゃい!ということで市街地信用組合が誕生。色々法律も整備され、1951年に信用金庫法が公布・施工。ここでやっと会員外の預金を扱え、手形割引もできる信用金庫が誕生。なるほど。

そしてこの本には、信用金庫のルーツは海外にありということも書いてありました。それは…イギリス!1844年のことです。

イギリスは当時、産業革命による経済発展が最盛期に達し、産業・文化共に黄金期を迎えていました。中でもマンチェスターは綿工業により大いに栄えましたが、その果実を味わったのは資本家のみでした。

資本主義というものは資本を持っている人ほど栄える、そういうものなんだなと改めて考えます。こういう思考をもっと子供の頃に持っていたかった…。マルクスの資本論の通りですね。

そこで貧困に喘いでいたロッチデールの織物工28人は、自分たちで資金を出し合い、良質な商品を仕入れて安く販売する組織「ロッチデール構成先駆者組合」を立ち上げます。同組合は運営原則として剰余金の分配、市価での取引、組合員の平等、政治・宗教的な中立などを制定しました。これは「ロッチデール原則と呼ばれ、その精神は現在でも世界の協同組合に受け継がれています。

そこから組合運動はイギリス全土に広がり、海を超えてドイツ、日本に渡ってきたそうです。そこで導入したのは品川弥二郎と平田東助です。

こういう「社会を変える」ということに熱量を持っている人たちが、いつの世もいるんですね。日本には今、その熱量を持った人たちがどれくらいいるのだろうなと考えてしまいました。

少し話はそれますが、私自身4−5年前に地域活性に対して非常に積極的に動いていた時期がありました。地域とつながることで、よりその地域に対して親愛が生まれ、地域に恩返ししよう、という気持ちが自然と生まれてきたのがとても新鮮でした。

その頃ぼんやり考えていたのは地域経済や感謝経済というものです。そのハブとなるのは地域の信用金庫なのだろうなと考えていました。

金融機関のDXは非常に難しく、その概念を浸透させるにはデジタルに触れてこなかった世代にとってはハードルが高いものです。しかしこれからの金融機関、特に信用金庫はその必要が大きい。

なぜなら地域の企業とともにデジタルトランスフォーメーションしていかなければ、グローバルに取り残されていくのが目に見えているからです。

一方でこんな考えもあります。”DXを無理にする必要がない組織も存在する”。

メガバンクのトラブルをよく目にすることが最近ありますが、DXは金融機関にとって非常にハードルが高いのではないか?と思うところがあります。

信用金庫で言うと、さまざまな中小企業と関わりがあるのでDXといえど合わせるのが難しい企業もありそうです。

そして、完成されたプロダクトに対して果たしてDXは必要なのか?と言う個人的な疑問もあり。全てをデジタルにトランスフォーメーションする必要はないと思うのですが、いかがでしょうか。

信用金庫の存在意義は、中小企業が99.8%である日本においては非常に大きなものであり、それゆえ信用金庫の今後の変革が地域経済に与えるインパクトは強いでしょう。

久しぶりの投稿、お読みいただいてありがとうございました!

最近もラジオにハマっております。昨日も夜中までついつい聴いてしまったのですが、めちゃいいプレイリストがそこからリコメンドされたのでこちらでもシェア!

ゆっくり眠りたい時にどうぞ。

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rurutaro
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