一時間で書く お題 ペストマスク
ペストマスク
「やあ遠藤くん、おはよう」
聞きなれた声。ガタゴトと騒がしい電車の中、すこしくぐもっているが聞き覚えのあるその声に僕はすぐ反応した。
「高崎先輩、おは……」
振り向いたそこは、学校内でも美人で有名な高崎先輩。――高崎先輩なんだが、その綺麗な顔はそこにない。
スカートから伸びたすらっといた脚も、制服から伸びた真っ白で透き通る肌も、長い黒髪も、高崎先輩のものだとわかる。
わかるのだけれど。
「どうした、遠藤くん。挨拶は大事だぞ。しっかりとな」
声がこもっていたのは、高崎先輩の顔が、あるものに覆われているからだった。
先ず、丸い造形から飛び出た異様に伸びた長い口元。カラスのような大きな嘴がついている。
そして目元――ゴーグル型にはめ込まれたガラスの中は見えず、表情も判断できない。
これ、たしか、ペストマスク、ってやつ、だっけ……。
「聞こえていないのかな。もしやこのマスク、遮音性が高いのかもしれん。よし」
一息。
「おーはーよー!」
どう考えてもまずい。
現代日本の――空いているとはいえ朝の電車のなかで、こんな異様なものを被っている人に絡まれている状況は、まずい。
周りの視線を確認するまでもなく、僕は目をそらした。できる限り距離も取りたいが、この人は確実に追ってくるだろう。そういう人だ。
どうしようかと迷っていたら、胸ポケットが微振動した。携帯電話の通知だった。
『おはよう』
『挨拶をしたのに反応がない』
『わたしは寂しい』
すごい連投しますね。
『いやそんな格好してるからでしょうが』
僕の返信にすぐ気づいたのか。鳥の怪人みたいな先輩は、手に持った携帯電話を見えずらそうにゴーグルへと近づけている。
『なんでそんなのしてるんです』
タップする腕が嘴に当たっていた。邪魔ならとればいいのに……。
『今日は花粉が多くてね、ちょうどよいマスクがコレしかなかった』
夏場でも花粉って飛ぶのか。そういやブタクサ花粉ってのをきいたことある。
いや、そうじゃなくて。
「なんでペストマスクを常備してるんです! どういうお家なんでしょう。お父さんは拷問官でもされてるんですかね!」
あ、やばい普通にツッコんでしまった。
「ふふ、やっと話してくれたね、遠藤くん。おはよう」
「おはよう、ございます……」
観念し、先輩へ向く。いや嘴が近い。俺の視界のほとんどが嘴ですけど。
だいたいなんだよこのマスク。先輩の顔見れないじゃん。
変な言動多いけど、綺麗でかっこいい先輩の顔を見るの毎日の楽しみだったんだけど。
「拷問官、なんて職業はないかな。それに、私の父さんは普通の会社勤めだよ」
そんな僕の心情をわかっちゃいない先輩は、鳥の頭を上下に揺らしていつものように得意げに話している。
「ま、まあ君がもし気になるというのなら、今度、う、うちに――」
その時、電車が揺れた。
きゃ、という先輩の貴重な女の子っぽい声とともに僕の顔に衝撃。先輩の嘴がおもいきり俺の顔に当たっていた。
その勢いでマスクが百八十度回転する。
「もががが」
ペストマスクの怪人女が暴れだした。
「待って待って、落ち着いてください先輩」
とにかく外さないと。息苦しそう。
僕より少し背の高い先輩にかがんでもらい――長い髪からいい匂いした――失礼します、と断って、マスクを外そうとする。
なんかプロレスラーの覆面みたいで紐いっぱいあるなこれ。
「んー。あとちょっと……。とれましたよ、先輩!」
ようやく外したマスクの中。先輩はなぜかおでこを手で覆っていた。
「どうしたんです、頭ぶつけたんですか?」
「ニキビできてて……は、恥ずかしいから……」
「あ、あああすいません」
真っ赤な顔をした先輩に、急いでマスクをつけてあげた。
ニキビよりペストマスクのほうが恥ずかしくないのか、という疑問は残る。
でも、恥ずかしがる先輩を見れたので、結果オーライ。
車内の注目を一身に浴びていることに気づくのは、このすぐ後だった。