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意思決定と人狼ゲーム

今年もよろしくお願いします。

最近インターネット上のいろいろな人達の動きや企業のニュースを観て面白いなと思ったので書きます。

ゲーム理論という分野と近いのかもしれないですが、今回のポイントは

・限られた情報しか持たない人同士が議論するともれなく人狼ゲーム状態になってしまう。

・立場、経験、意見の異なる誰しもが限られた情報しか持てないまま議論をして意思決定する。

・従って、リアルでの議論はほとんど人狼ゲーム状態になる。

・最終的に集団の意思決定はその正誤を事後検証困難なので間違っていても前進する。

・だから意思決定者の権力や責任への批判や非難は無意味かもしれない。

・自分自身の行動の意思決定は自分で行うか、新しい問題を見つけることが重要になる。

という話です。

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1)リアル人狼ゲーム

今も昔もいろんな論者、識者がお互いに意見をぶつけ合ったり、出る杭を打ちあったり、疑義を投げ合ったり、対立意見をぶつけ合っている(叩き合っている)シーンはよく見られるが、最近ではソーシャルメディア上でいろんなやりとりを閲覧できる。

有名な某カリスマやインフルエンサーをチェックすると日替りで誰かが熱い感じになっていて、ほぼ毎日目撃することができます。

そして最初は傍観している人や野次馬も徐々に煽られ釣られて当事者を擁護しようと返事し始めたり便乗したり、次第に大きな議論になっていく。場外乱闘(炎上)だ。

これはインターネットのメディアに特有かと思うけど、従来のメディア、実際のコミュニティでも起きる。おそらく国同士の外交の場でも、国際学会でも、国会とかでも起きてるだろう。
第3者から参加者を特定可能か否か、やりとりの情報開示範囲条件が違うかだけで基本の構図は同じ。

議論のきっかけとなる識者同士のレベルが高いと、どちらが正しいのかはもはやわからなくなって、最終的にどちらを信じればいいかは主観的に好きか嫌いか感情が左右する。

こうなると相手が嘘を付いているようにすら見えるので、真実は置き去りになった上、何がなんだかわからなくなって、最後に1番激しく叩かれた人が観念して妥協したり、なにかしら白旗をあげたり、最悪社会的な名誉を損うまで続く場合もあるリアルな人狼ゲームに見えてくる。(ゲームでは狼が村人を食べる設定)

人狼ゲームでは村人になりすました狼が村人を騙して支配層になって村人を食べようとするか、村人が村人になりすました狼を見抜いて、村人支配体制を維持するかを競うゲームだ。村人になりすました狼を含む村人同士が誰が本物の狼か議論し合うことで、ゲームが前に進む。議論が一定量進むとみんなで誰が狼かを決める意思決定をしなければならない。決められた狼は正誤問わず退場することになる(設定では処刑)。そして退場した者が本物の狼だったかどうかはわからない。

インターネットでも、リアルな会議でも、意思決定をするにはどんな場であっても、まずは個々の意見や立場を明らかにした上で議論され、最終的にベストな選択が判断されるプロセスが最近主流な意思決定方法として採用されている。

意思決定に至らないようなできごとであっても、議論の参加者の意見を述べあったりする場が形成されることが多い。

それは問題がシリアスであれば、シリアスであるほど多くの人の眼の届くところで重要視されるし、引用されて、より多くの人たちの目や耳に届く。

2)集団による意思決定は後戻りと制御が困難

ここで後戻りできない意思決定とは何か考えてみる。

ある集団がある目的を達成する為の行動を選択する意思決定をする場合

(ここでは集団、共同体、組織、社会などの概念を括って集団と呼ぶことにする)

集団の中で多数が賛同する意見か、集団の中で様々な情報と意思決定権を与えられたものの意見が採用される。

集団を構成する人はそれぞれ立場、経験、意見の違いがあり、両立し得ない意見の食い違い部分は折衷される。

どんなに合理的な情報分析方法と意思決定プロセスをもってしても正しさは集団を構成する人が判定する。

従って、意思決定の結果、最終的にベストな選択、決定がされるかはわからない。

もし後から過去の意思決定が間違っていたことが明らかになっても、その時点の新たな場面で、意思決定をする前と同じ状態にはならないか、別の問題を抱えているだろうし、集団の合意を持って是正することはできない。

3)意思決定者の責任

ある人狼ゲームには占い師や予言者なる誰が狼かを見抜く役割を持つものも登場する。

だけどその役割が本物かどうかは村人や狼にはわからない。何も知らない村人には占い師が嘘をついている狼にも見える。この状態がゲーム性を高めてプレイヤーの楽しみが向上するらしい。

今では例えば

人工知能などの技術は人のためになりますよって言う派

人工知能などの技術は人の仕事や立場を奪うかもしれないとか(逆に人を不幸にします)ので躊躇する派

とかが専門的な知識の偏りがある人同士の対立状態のわかりやすい例だけど、いずれにせよ技術を正しく使うための倫理観はみんなで合わせましょうという協調する部分と対立する部分に分けるところまでは進む。

他には社会保障、経済、労働、環境、医療、福祉等々の分野で色々な問題を抱えそこには対立意見が常にあり、今後、意思決定をし続けることになる。

しかし、集団の意思決定は、もし未来予測を高精度に行うことができたとしても、予測に対しての異なる立場、経験から対立する意見が生じ得るので、必ずしも正しい方向に導かれるとは限らない。その意味で集団の意思決定は制御困難だ。

さらにコンピュータ上の計算では人類は未来を予測できないよという計算結果もあると聞く。

そうすると、意思決定の権力や責任を持つということにどんな意味を見出すのか(見出さなければいけないのか?)という気もする。むしろほとんどの意思決定者は本来の意味での意思決定能力を持つことは難しいし、結果に対する批判や非難を浴びせてもあまり意味がないと考えるべきかもしれない。

(余談になるが、集団のリーダーの役割は集団を構成する人の注意を引いたり、感情や気持ちを鼓舞することにもっと力を注ぐべきなのではないかと思う)

だから、個々がやるべき重要なことは2つあって

・対立する意見や問題点を理解した上で、自分自身の行動を決めて、できれば自身が出来ることをやること。

・もう一つは新しい問題点を見いだして、それを多くの人に知ってもらうことを泥臭く実践することだと思う。

ただそのためには、対象とする現象において事実が正しく記録に残されることと状況を把握して整理する力を持っておくことが必要となる。

という話でした

今回は人狼ゲームを例にしましたが、他に似たようなゲームはありそうです。麻雀とか。
全然話が変わりますが、囲碁チェス将棋で人を上回る人工知能が麻雀で人に勝てるか、すごく興味があります。棋譜だけ読んで学習するロボットが、果たして心理戦の要素が強い麻雀で人に勝てるか。


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