承久の乱
承久の乱
1221年に後鳥羽院が、鎌倉幕府執権:北条義時を追討する院宣を出しました。
それによって始まった戦いが、【承久の乱】です。
当時、鎌倉幕府三代将軍実朝の時代で、
実権は北条氏が握っていました。
後鳥羽院は、自身の思うとおりに動かない北条氏に不満や怒りが積もっていました。
後鳥羽院・順徳院の朝廷軍は、わずか1万7千。
それに対する幕府の幕府軍は、19万だったそうです。
戦いに敗れた後鳥羽院は、隠岐の島に流罪となりました。
子の順徳院は、佐渡島に流罪となりました。
『隠岐と後鳥羽院』隠岐・海士町後鳥羽院御遷幸800年記念
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【096:入道前太政大臣】
【099:後鳥羽院】
【100:順徳院】
【百人一首解説&百人一首ソング】
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