小野篁が、流罪になった理由が、理不尽過ぎる!
第19次遣唐使。
小野篁は、834年に遣唐副使に任ぜられました。
遣唐大使は、藤原常嗣です。
遣唐使は、船で唐の国(中国)に渡ります。
遣唐大使は第1船、遣唐副使は第2船に乗船します。
いざ出発しようとすると、遣唐大使である藤原常嗣の乗船す第1船が破損していることが発覚しました。
藤原常嗣は、小野篁の第2船との交換を要求しました。
けれど破損した船で、出発できませんので、
小野篁は、藤原常嗣の要求に怒ってしまいます。
そして仮病を使って、遣唐副使を拒否します。
それでも怒りが治まりません。
この一件で、朝廷を風刺する漢詩を書きました。
NGワードだらけの漢詩。
それを読んだ嵯峨上皇が、
小野篁を流罪にしました。
隠岐の島へ流罪となってしまいました。
余談ですが、遣唐使は、
894年に菅原道真によって、
廃止されました。
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