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(後編)アジア美術史からアジア間美術史へ

これまでの記事で「アジア美術」という用語が日本特有の問題を孕んでいることが明らかになりました。今回は現状の課題を克服する解決策について考えてみます。

ここで一つ筆者が提案できるとすれば、「アジア美術史(Asian Art History)」を超えた「アジア間美術史(Intra-Asian Art History)」を構想することができるのではないでしょうか。つまり、東アジア美術、南アジア美術、東南アジア美術、そして西アジア美術や中央アジア美術のそれぞれの影響関係を議論したり、比較を通じて固有性を抽出したりすることで、「アジア美術」全体としての有機的発展を明らかにしようとするものです。その固有性の形成には、西洋列強による南アジアや東南アジアの植民地支配も重要な要素であるが、このような視点に立つことによって、いわば「アジア美術」とは西洋美術のように統一性のある概念ではなく、複数の地域で制作された美術の複合体であるとみなすことができます。

それでは、具体的にどのような方法論が想定されるでしょうか。東アジアと西アジアなどの境界を接していない遠隔にある地域間を比較するためには、それぞれの地域で制作された美術を共通の言語(用語)や概念で語る必要があります。第一に「多様性(diversity)」という指標が考えられ、様式、主題、素材、機能などの種類が豊富であることを論じます。第二に「開放性(openness)」という指標が考えられ、外部世界に影響を受けたり、逆に影響を与えたりすることを論じます。第三に「可変性(variability)」という指標が考えられ、短い期間に大きな変化が何度も起きることが論じられます。第四に「強靭性(resiliency)」という指標が考えられ、異文化を同化したり、それを通じて発展したりすることが論じられます。第五に「社会性(sociability)」という指標が考えられ、美術の制作などの創造的行為が社会的に重要視されていることが論じられます。このように西洋美術の対概念としての「アジア美術」という枠組みを克服し、アジアの各地域に固有の生態環境・政治経済・社会文化に根差した複数径路による発展の歴史を明らかにすることが、アジア美術研究者に求められる役割ではないでしょうか。

なお、コロナ禍における3年間の中断を経て、2022年度から福岡アジア美術館のレジデンス事業がリニューアルされました。2021年1月から3月にかけて滞在したドクペルーというアーティストユニットは、レジデンス事業の歴史で初めて南米から招聘されましたが、それも福岡アジア美術館の「アジア美術」が地理的な範囲ではないことを示しています。ただし、事業内容が変更されて日本人の作家も招聘できるようになり、福岡在住のアーティストの特別枠も設けられました。つまり、1999年の開館当初は日本は欧米の側と認識されていましたが、この25年の間に日本で言うところの「アジア」、つまりは非西洋世界に編入されてきていることがわかります。このことは日本の国際的な地位が低下してきただけではなく、西洋対東洋という図式が成り立たなくなり、欧米自体の優位性も失われてきていることを反映しているかもしれません。


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