外国人と会話をしたいとき、あなたはどうする?
あなたは外国人とコミュニケーションをとりたいときどうするだろうか?
つたない英語を使ってみる?
翻訳アプリを使ってみる?
通訳の人にお願いしてみる?
どのくらいのレベルのコミュニケーションを求めるのか、どんなシチュエーションにいるのか、といった事象によって異なるとは思うが、少なくともビジネスレベルであれば通訳の人を介してコミュニケーションをとるのではないだろうか。
先日わたしは日本人サッカー関係者とスペイン人サッカー関係者の間で通訳として入らせてもらったのだが、そのときに色々と思う節があった。それは通訳が入ることによる弊害。
ちなみにわたしのスペイン語レベルとしては、ビジネスレベルと言えるほどではないが、普段の生活はすべてスペイン語、日常会話にはさほど困らない。スペインのサッカーチームで働いていることもあって、サッカーに関する用語については人よりも詳しいと言えるだろう。
通訳として入ったとき、わたしは正直通訳利用者の日本人にとって便利な反面、物凄く大きな機会損失をしているなと感じた。
というのも、通訳を介した交流というのは、心の底から互いの関係を深くするのは難しいと悟ったからだ。
通訳を介したコミュニケーションのデメリット
心地よい会話、親近感を感じるような会話、この人ともっと仲良くなりたいもしくはまた後日逢って話したいと思わせてくれる会話。
それらは色んな要素で構成されるが、通訳を交えた会話というのはそういった会話から離れたものが多いように思う。
ここで通訳を交えた会話のデメリットを5つ挙げてみた。
①会話のテンポが悪くなり、冗談が言いにくい
会話のテンポなんかもそうだ。心地よい会話をするためには必要不可欠だが、通訳を介すと圧倒的に質が落ちてしまう。
たとえば会話の途中で何か冗談やボケを言ったとして。それを通訳が理解し、翻訳して別の相手に伝えるという流れをたどると、共通言語をもつ人同士の会話と比べて一歩遅れ、時間差が起きてしまうのは明白だ。
冗談を言った本人としては、自分が言った冗談に対する反応を待つ時間というのは恐ろしく心地が悪いだろう。
まして一度で聞き取れず、冗談を聞き返されたなんて場合はもっと最悪だ。自分が言った冗談の説明をすることほど悲しいものはない。
わざわざ訳してもらうほどのことでもないけど、伝えられたらちょっとおもしろいな程度の小ネタの場合、まあいいやと話すのを諦めてしまうこともあるかもしれない。しかしそう言った小さなことが、意外と互いの距離を縮められるものだったりする。
②相手に伝わるまでの時間差がある
通訳を介すことによる時間差が原因で、聞きたいことも聞けなかったという問題も起きかねない。
たとえば車に一緒に乗っていて、外の景色を見ながら「あの大きな建物は何?」と聞いたとして。通訳を通して聞いたときには既に通りすぎてしまっていて、何のことを言っていたのかわからないなんてことも起こりうるかもしれない。
③2人だけの秘密を共有できない
2人だけの秘密を共有できないというのも、残念なポイントである。たとえ2人の会話だとしても、通訳を介すとどうしても第三者が共有している形式になってしまうので秘密の共有はしにくい。
「この話はわたしたちだけの秘密ね」という内容は、パーソナルスペースへの踏み込み効果により互いの距離感や結束をより強くするものだと心理学で言われている。
仲間意識も構築され、「この秘密は誰にも言ってはいけない」という縛りが互いのことを意識させるものにもなる。また秘密の共有を通じて、2人の会話の温度差を合わせることもできるのだ。
通訳を介すことでこれらすべての効果が使えなくなってしまい、関係を強くするチャンスを大きく損失してしまう。
④親近感が湧きにくい
さらに相手の母国語に合わせて会話している場合は、その言葉を多少なりとも使えるかどうかは相手との距離を縮めるのに非常に大切だ。
例えば日本語に置きかえて考えると、外国人Aさんはあなたとの会話でずっと英語を使いながら通訳を介して話してくるのに対し、外国人Bさんは日本語がそれほどわからないものの時折「ワカリマシタ!」なんて言う風に、あなたの言語に寄り添って話してくれたら、どちらの方がより親近感を感じるだろうか。難しい日本語を一生懸命使おうとしてくれる姿を見て、愛らしく思えるのではないだろうか。
地方特有の方言など、まさか外国人が知っているなんて思いもしないような言葉を使われると、あなたも思わず「えーなんで知ってるの!」と驚き、嬉しくなったりその人に興味が湧いたりすることもある。
そういった小さな積み重ねは思いもよらないところで互いの関係性を強くし、相手に強く印象を残すことだってできる。
⑤当人同士のコミュニケーションの密度が低くなる
話しているときの相手の視線なんかも侮れないものだ。元々2人での会話だとしても、通訳を介すと相手はあなたの方を向いて喋るのではなく通訳の方を向いて話しかけるようになることもある。
もちろんそうなってしまうのに無理はない。日本語のわからない外国人に向かって、果たしてあなたは日本語で話しかけ続けることができるだろうか。少し違和感を感じ、たとえ伝えたい相手が外国人だとしても日本語がわかる通訳の人に向かって話してしまうかもしれない。
そこにはあなた⇄通訳、通訳⇄外国人Aさんという図式ができあがってしまい、あなた⇄外国人Aさんと言う交流の密度が一気になくなってしまうのだ。そうなってしまうと、心理的にあなたや外国人Aさんは会話の中で第三者の自分という感覚になってしまうかもしれない。
海外でプレーするサッカー選手のハンデ
サッカー選手が海外に出てプレーするときも同様である。チームの仲間や監督らと話すときも、通訳を使うと上記で挙げたようなコミュニケーションの弊害は起きてしまう。
例えば練習前や試合前などで監督からチーム全体へ戦術面などの指示が入る場合。
当たり前だが監督の言葉をたやすく理解できる選手であれば、指示を聞きながら自分のポジションなどを想定し、どのように戦うかなどを考えることができる。
しかし外国人が通訳を交えて指示を理解して戦術について考えるとなると、まずは通訳が理解をし、そのあとに選手本人に伝えられ理解・考察するというステップを踏まなければならない。こうなると一発で理解している選手たちに比べ時間差が生まれてしまい、圧倒的なハンデとなってしまう。
サッカーの技術やセンスが優れていても、言語問題1つだけで他の選手に遅れをとってしまうことは往々にしてあるのだ。
(ただ語学力が全くない段階では、とにかく理解することが最優先のため、通訳を交えてでも意思疎通がはかれる環境を作ることは大事。ここでは通訳に頼ってしまうことの弊害について言及している。)
語学力を磨くことの大切さを再確認したい
ビジネスを通じて外国人と交流する際、もちろん意思疎通ができたり会話をして聞きたいことや伝えたいことが分かり合えたり、というのが達成できるかどうかは大きい。それさえ出来なければ何も始まらない。
しかし本来の目的というのは一度知り合い交流した相手と、良好な関係を築くことなのではないかと思っている。その先に何か1つのことに向かって手を取り合い、作り上げるということが実現できる。
「この先AIの発達のおかげで、わざわざ語学力を習得しなくても自動で翻訳してくれるから大丈夫!」なんていう声も聞く。しかしわたし個人的には、どんな技術革新があるにせよ、語学力を伸ばすということは心のコミュニケーションにおいて大切だと思っている。
通訳の力を借りたり、翻訳アプリの力を借りるのではなく、自分自身の頭で考え自分自身の言葉を紡ぎだすことをおろそかにしないようにしたい。
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