perseverance打ち上げ。
7月30日、20時50分。MARS2020ことperseveranceの打ち上げがありました。
去年からずっと、この探査機についてプラネタリウムで取り上げるために勉強し、説明できるよう心を砕き、情報に耳を澄ませていたので、本当に感慨深く嬉しい。
火星軌道に無事に乗ったとのこと、思わず祝杯をあげよう!と思ったものの、背徳的な「お風呂でアイス」の誘惑の方が今はとっても魅惑的だったので、アルコールはやめてアイスを買って帰ってきた。
今回の探査機は、事前登録でこういう搭乗券を発行してくれて、私の名前も載ったプレートが探査機に組み込まれているので、私の名がほかの百万の人々の名とともに一足先に火星に飛ぶのです。
いつか遠い未来に誰かがそのプレートを見つけたら、由来も忘れられ、この名は火星に植民しようとした人々の名だ、などと勘違いするかもしれないな、とか思ったり思わなかったり。(そんなことのないようにきっと由来も一緒にかいてあるだろうな)
何事もなしてない、名もなき市民としてこのまま命が尽きていくのかな、と思ったりもするけど、6等星の星のようによく見れば見える程度の痕跡はあちこちに残している気がする。曲がりなりにも大手からの出版の機会があったし、地元の行政の依頼で作品を作ったりもしているし、ちゃんと仕事でも名前の出る仕事を多少は請け負えているし。
宇宙にかかわると、自分の命が自分だけで完結せず、遠い未来にバトンを渡していくリレーのような気持ちになる。
そもそも、ここにいる、ということ自体が実に不思議な事であり、いつかいなくなったとしても私がいた、ということは宇宙のどこかに記憶として残っている気もし(あったことをなかったことにできないように)それは、幼くして死んだ者、名を成さずして死んだ者をも背負って、命は続いていく(誰にも知られなくても存在したのならば、それはなかったことにならない、多分どこかにつながっていて、知られなくてもあったことによって現在が出来上がっているのだ)ということなど、最近ちょっと考えている。
だから、生まれてきたこと自体が不幸で望まなくて、生まれてこなければよかった、という考え方はちょっと違うと思うんだ。たとえそう思っても現実は君を含めて進んでいく。いなかったら、今の現実とは違う現実になっていただろうし、現実として今、この現実がある以上、君は生まれざるを得なかった。そして、今の現実には激しい不幸もあるけど、大きな喜びもあり、それは君がいなければなかったことで、そういう意味ではすでに君がいることは大きな幸福であり、激しい不幸でもあるのだ、と。
なんやらわかりにくい哲学っぽいこと言いだしたな、って感じだけど、なんかそんな風に思っている。
小さな嬉しいは、結構身近にたくさんあって、だから私は最近不幸を感じなくて。
たとえば、うっかり世界名作劇場の「ロミオの青い空」が配信で一気見できるようになってるもんだから、久しぶりに見たら主人公二人が胸が痛いくらい素敵で、それに最近ちょっと考えてた「立場によって黒魔女にも白魔女にも見える魔女」の話と絡めて、そこに銀河鉄道の夜的なエッセンスを垂らしてなんか書きたい…!という二次創作とも何とも言い難い何かが立ち上がりつつあるし、なかなか買えないアクセサリが今回は結構あっさり先着で勝ち抜けて手に入ったり。
きれいな虹を見たり、彩雲を見て嬉しくなったり。昨日の体調が悪かった原因が見当ついたことだって、ずいぶんほっとして嬉しかったし、買いこんだお茶がおいしかったのもうれしいし。
どれもこれも大したことない、小さなことだけど、その積み重ねは結構大きい気がする。
これが些細な不幸だったら、多分最後は苦しい悲しい死にたい、ってなると思うんだ。だから小さな嬉しいをちゃんと喜べるのは結構大事な気がしている。
ということで、お風呂でアイス食べようと思う。