としまえん。
今月いっぱいでなくなってしまうものがいくつかある。
この、100年ぶりの大厄災といわれる中、昔からあったものが消えていく。状況が良ければなくならなかったかもしれないものが多い。
お店も施設も。悲鳴も上げずに消えていく、そこにあった記憶だけ残して。
としまえん。そう頻繁に足を運んだわけではないけど、忘れがたい思い出がある場所。それを上書きしたくないから行かなかったのかもしれない。
最初で最後かもしれない、恋人に手を引かれ、訪れた場所、彼の友達はプールへ、私と彼はプールにはいかず、としまえんの乗り物に二人で乗って、一日過ごしたっけ。まだ触れるのが恥ずかしくて、二人乗りの乗り物に一緒に乗るのもためらってしまって、二人で乗ったのは観覧車だったな。
手はつなげるようになってたんだっけ。それすら、この時はまだだったかもしれない。
彼とは一日中でも話してて楽しくて嬉しくて、一日一緒に遊んだことは今思い出してもきらきらとした夏の光のような思い出になっている。
そんな場所だからこそ、おいそれと足を踏み入れて汚したくなかった。でも、なくなってしまう前に、もう一度見ておきたかった。
きっと小さくて古ぼけて感じるだろうと思っているけど、きっとそれも愛おしい。さよならを言いに、来週向かおう。
こうして、ここのところずっとこの世界に別れを告げることばかり考えているけど、今日は検査を受けて、幸いそれが取り越し苦労だと判明したので大いにほっとした。
むしろ、3年は検査しなくても大丈夫でしょう、と先生から3年保証されたので、3年後にも生きてられそうですよ私。
アトリエを持つことも、かっこいいおばあちゃんになることも、背中を預けられるパートナーを得ることも、みな諦めなくちゃと思っていたけど、あきらめなくていいみたい。
むしろ、そういう望みを持っている、と気づいたんだから、それをかなえられるよう、努力してみてもいいんじゃないの?とちょっと思っている。
色々なことを、望んではいけないと未だに呪いが残っていたのだな、と思いもし。
そして、この色々なものが静かに沈むように消えてしまうこの頃に手遅れになる前にちゃんと手を伸ばして記憶に残しておかないとと思いもし。
そもそも、私の命だって(3年とはいかないけれど)数10年後にはなくなっているだろうから、ここにいられる間にやれることは後悔の無いようちゃんとやっておかなくちゃ。
などと思っている。