多分、ややノイローゼ。

体調がどうにも思わしくなく、本当にどこか悪いかもしれないとずっと気に病んでいる。でも、本丸が見つからない感じでどうにも落ち着かない。

大したことない症状の積み重ねで、大きな病気のように感じているだけならいいのだけど、大きな病気が隠れているその裏で小さな症状が出ているのだったらいやだな、と。

細々としたことを色々と済ませ、日々を過ごしているけど、どうにも死が目に入って、私は遠からず死ぬのかもしれない、とちょっと気にしているのがよく分かる。

ところが、あまりそれについてじたばたしないかもしれない(結構、リアルに3年後まで生きてないかもと思っているのに)というのが不思議だ。

ただ、そばに誰もいないこと、そして名の残る大きな仕事ができなかったこと、…BUMPと仕事ができなかったことが多分心残りになるだろうな、とは思っている。

死ぬときに必ず、最初で最後の恋人からもらったラブレターを入れてほしい、と思っているのに、仕舞なくしてしまってここのところずっと探している。ある意味宝さがしになっているけど、見つけたら死が近い証明になるやもしれないとちょっと及び腰でもある。

でも、きっと、そんなの関係なく、最後の日はやってくるし、その日に向けて私たちが生きているのだろう。だとしたら、やっぱり最後に悔いを残さないように生きるしかなく、私の悔いは何だろう、と思わざるを得ない。

そんなことをぐるぐる考えているからか、今朝はその、恋人に送った展示の案内に彼からも返信として展示の案内が送られてきて、一言だけ

「続き」

と書いてあるのを、字すら愛おしく眺めていた。私は、彼の端正な字が好きで、ラブレターを取り出しては私のあて名をうっとりと眺めたものだった。

新しい宝物をもらった、と嬉しく思っていた。ただのDMなのにね。

20年以上も昔の関係なのに、いつまで執着してるんだろう、と我ながら思うけれども、こんなに執着するなら手を離してはいけなかった。

きっと最後の日まで、それは思うだろう。馬鹿だな。

でも、手を離さなかったら、こんなに深く、誰かのことを思い続けなかったかもしれない。それはいいことか、悪いことか。

全く分からないけど、ちょっとそこいらにはころがっていない気持ちかもしれない。他人事なら、面白がってくれるものかもしれないな。

いいなと思ったら応援しよう!

ミツマチヨシコ
よろしければサポートをお願いします。いただいたサポートは、展示や制作の資金として、あるいはさらなるいい作品の滋養のための活動にありがたく使わせていただきます!