現代医療やエビデンスの光と闇
日本の医療費の増大の原因として1つ考えるべきことがある。
それは"個別性の欠如"です。
例えば『熱がある』という患者に対して病院ではどんな治療がされるでしょうか?
おそらくほとんどの場合
"老若男女全員が解熱鎮痛剤で様子をみましょう"
そう言われるのではないでしょうか?
またはみなさんがそのように想像するのではないでしょうか?
そもそもなぜ熱が出るのか考えた場合、解熱鎮痛剤は免疫系の面から見れば悪です。そして子供と大人、性別の違いや生活環境の違いで『なぜ熱が出たのか』も違うはずなのに同じ治療をしてしまう事は本当に意味がある行為と言えるでしょうか?
ワクチンも同じことが言えると思います。
私はリハビリの専門家であるため全員が同じ治療をすることに疑問を抱きます。
リハビリは基本的にオーダーメイド、1人1人の背景や既往歴、現病歴など全て個人個人で見立てから治療まで変わります。同じ『膝が痛い』患者であっても1人として同じ治療をする事はありません。
そしてそこで使われるものがエビデンス、科学的根拠です。
今では様々な職種でエビデンスという言葉を聞く機会も増えてきました。
主にリハビリでは
①リハビリ内容に根拠がある事を示すため
②患者に納得していただくため
③医者他業種との連携の際の情報として(なぜその治療を選択するのか)
こういった場面で使用する事が多いです。
ただこのエビデンスにも光と闇があります。
まずいろんな場面で聞くようになった言葉ですが、どのレベルのエビデンスなのか詳細を伝えているモノが少ない。
リハビリで参考にする際はシステマティックレビューやメタアナリシス、RCT(ランダム化比較試験)などの信頼性が高いエビデンスを使用する事がほとんどです。
しかし、例えば健康に良いとされる食品などで"エビデンスがあります"といった表示があっても自社内でのエビデンスであったり、第三者機関でエビデンス有りにできてしまう所へ委託していてたりするのが現実です。
他にも考えられるものとして
①エビデンスは"過去"のものでしかない。
→日進月歩技術も進歩する時代に合わない業種もある。
②科学の領域を越えることができない。
→科学は全体の中の一部を切り取ったに過ぎない。
③産業のために使われるようになった。
→エビデンスがあれば安心という心理を利用し"全てにおいてエビデンス有り"を作り出せるようになった。
④データに思考が縛られ多角的な視点で事象をみることができない人が増えた。
→思考停止した人の増加、産業的生成により真実に迫る研究より既存の信念を補強する研究のみが受け入れられる。
そして何より、エビデンスを語る人がエビデンスの過程を知らない、知ったつもりになっていることが多いという事実。
こういった懸念もあります。
最初に書いたように治療には『個別性』を出していく必要があるのに疫学に当てはめただけの根拠が果たして全て有効と言えるでしょうか?
また個別性を大事にすれば1人1人やる事が違うため、ビッグデータの収集が難しくなります。
『膝が痛い』人が全員、既往歴や現病歴、生活環境まで同じという事はないからです。
エビデンスは医療にとっても大変大事なものであり、私個人も頼りにしている部分は多々あります。
しかし『エビデンスがあるから大丈夫』と思考停止してしまってはより良い治療は生まれません。
現状で医療費が増えているのであれば新しい何かや別の方法を見つけなければいけないという事です。
それを過去のデータに基づく根拠だけで導くのは難しいと私は考えます。
以前の記事でも書いたように
これまで健康寿命と平均寿命の差は約20年縮まりませんでした。
この間日本がやっていた事は
①運動習慣をつけよう
②筋力をつけよう(貯筋)
③バランスの良い食事をしよう(五大栄養素)
④メンタルケア(ストレスチェックなど)
です。
個人的な意見を言うと
①運動は散歩程度で問題ない
②筋力に頼るから寝たきりが増える
③職種や年代別など生活環境で必要な食事は1人1人違う
④食生活の改善から行う必要がある
昨今の医療は"検診や検査で早期発見をしましょう"
そんな風に言われます。
がん検診やストレスチェックなどはまさにこれに当たります。
これは予防未病とは違います。
発症している時点でそこから医療費がかかってしまいます。
これでは莫大になった医療費は削減する事はできません。
医療関係者に1人でも多くこの事に気付く方が増えることを願っています。