もうかれこれ4~5時間は箱の中で揺られている。不定期的なリズムで体へ振動が伝わり、熟睡ができない。その振動で隣の者ともよく体がぶつかるこの狭苦しい空間にはもう限界を感じていた。一体何が起こったというのだろうか。 そうこう考えている間に突然振動が止み、暗闇だった視界に色が付いた。ここが新たな住居となるのか、何なのか、1つの説明もないままに運ばれることとなった。その後、担ぎ上げられ、台の上に置かれたままで数時間が過ぎた。 その場所は、軽快なメロディと共に多くの者が行き来をし
先日、近所を散歩していた時のこと。 自宅マンションから駅の方面に向かう坂道の途中に「森」という表札の一軒家があった。家屋は、二階建ての造りで推定築25年は経過していそうなものであった。きっと、この家には家長である森さんと、旧姓は異なるが家長の森さんに愛し愛され森となった人間とが暮らし、場合によっては旧姓が森となってこの世に生れ落ちたちいさな人間らが家族として幸せに暮らしているんだろう。または、暮らしていたんだろう。 そんな森家の表札は昔ながらの石をベースとして、名前を彫り
先日、紅白歌合戦を実家で見ていた時の話。 缶ビールから缶チューハイに切り替えた辺りのタイミングで、坂本冬美さんが「夜桜お七」を歌っていた。メロディとサビ自体は以前聴いたことがあったので、油断していたのだが2番の冒頭でこんなフレーズが登場した。 “口紅をつけて ティッシュをくわえたら” それからというものその後2,3曲の間、ずっとこのフレーズに取り憑かれていた。なぜ、演歌というジャンルにおいて“ティッシュ”という外来語を登場させたのだろう。お世辞にも語感がいいとは言えない
お昼は近くのお店でうどんを食べることにした。 家の近くのうどん屋さんは、様々なバリュエーションで客を楽しませており、その中に”カレーうどん”も名を連ねていた。この季節になると目立つよう大きくメニューに印字されたカレーうどんは、恐らくこの店舗でクリーンナップを打てるポジションに位置しているだろう。 そんな事を考えていると、隣のテーブルに"カレーうどん"が運ばれてきた。アツアツで堂々としたその茶黄色の佇まいは風格さえ感じる。 届けられたテーブルにそっと目をうつすと、30代半
夜道を散歩していると、椪柑(ポンカン)かデコポンかはたまたそのどちらにも該当しない果物が成っている木に遭遇した。そんな木を前にして想起した内容であるが、その昔にこんな逸話があったらどうだろう。 ある街はずれのりんご農家に、一人の娘が。(ここではその名前をR子と仮定しておきたい。)R子はりんごのように瑞々しく、近所でも評判の美しい娘だった。もうすぐ18歳になるR子には親が決めた許嫁がいたが、その一方で将来を静かに誓い合った幼馴染の青年がいるとする。 その年の収穫時期が近づい
クリスマスが終わり、サンタのそりの跡がまだ残るこの時期は、毎年なんとなくではあるが世間一帯にふわふわとした空気が滞留している。 そんな年末も差し迫る日の夕方、自宅の近くを散歩していた。ある道の角を折れると、どこからともなく晩御飯の準備をしている香りがした。(夜勤~日勤を終え、15時に帰宅した労働者の昼御飯の可能性も捨てきれないがここではひとまず晩御飯と仮定しておきたい。) 鮭を焼く香りだった。明らかに鮭を焼いていた。 もちろん何を食べようがその人の勝手だし、街の情景の一
最寄駅の三番出口を出ると傘をさすほどでもないと思われる雨が降り始めており、その雨は多くの通行人を困らせていた。その群れのなかで自分も傘をさすか一考していた。 路上を歩く人々の傘開閉動向を伺っていると、車道を挟んだ先に男女がすれ違うのが見えた。二人はそのタイミングで雨が降っていることに気が付いたのかほぼ同時に互いの右手を軽く胸のあたりまで挙げて雨量を確認した。それは遠近法の関係で私の角度からはまるで『shall・we・dance?』の誘い文句がどちらからともなく飛び出しそうな
高円寺駅南口の商店街を抜け、新高円寺に向かうアーケードにその店々はあった。隣在する「ワンデーショップ 高円寺店」と「モリタクリーニング」である。 当然の面持ちで横並ぶ両店。 ここで一先ず、横並びの可能性について言及したい。 家族経営なのか、はたまた幼き日に「クリーニング屋さんになろうね。」と硬い契りを交わし合いそれが実現した姿なのか。後発の店はどんな顔をして看板を設置したのだろう。それを迎える店はその晩、食卓でどんな会話をしたのだろう。 例えば、近所に住む30代の主婦がワ
私は、その界隈では少しばかり知られたグルメライターで、数誌の連載を持っている。これまで紆余曲折のライター人生ではあったが、この歯に衣着せぬ辛口っぷりが評判を呼んでいるようで20数年これで飯を食っているし、実際に飯を食っている。 食の好みこそ人それぞれであるとは思うが、現代のグルメシーンにおいてライター界では私の右に出る者はそうは居ないと自負している。その才を店側も熟知しているようで、私が来店すると「これはこれは…」といった高価な壺を見た時のような、または初めて赤子を抱く
先日、久しぶりにジムへ行った。 月額¥7,000ほどのそのジムは24時間空いており、適度な混み具合なので非常に快適ではあるが、如何せん「通う」と言う行為が昔から得意ではない僕は、ジムに使う動詞は必ず「行く」になる。つまり、何が言いたいかと言うと数ヵ月ぶりの訪問であった。 入会してからもうかれこれ、1年半になるが僕がランニングマシンで走るより、ただ季節の方が圧倒的なスピードで駆け抜けている事実がある。 入会の手続きをする際に担当してくれた女性トレーナーは、筋肉質で
あ、なんか今日麻婆豆腐にしようかなって日、 自宅に「麻婆豆腐の素」が待機してるか否かを毎度毎度考えてしまう。 脳内でキッチンの戸棚を開いて、あるだろうという方向でシュミレーションするものの、大体肝心な「麻婆豆腐の素」が置かれている場所はぼんやりと薄れてしまっている。 常に予備をストックしているという、堅実な過去の自分に一縷の望みを繋いでもいいが、そこからヌルヌルっと生きている現時点の未来の自分がこんな所でつまづいているのだから、この賭けは少し危ういだろう。 それに、絹ごし
ある町の中央通りの一角に一本の長い行列ができていた。その行列は道の端で直角に折れ、その先の店に続いているものらしかった。行列の後ろの道から歩いてきた私は、その先にこのような大勢を惹きつける人気店があるといった記憶は無かったが、とにかくそういうことらしかった。 土曜日の穏やかな昼下がりということもあり、行列にはさまざまな年代の男女が連なっていた。時間を持て余しがてら散歩をしていた私もその行列の一員になってみようか。という興味が生まれた。しかし、どんな店に何を目的として並ん
薄ら暗い、空気の入れ替えを万年怠っているであろう書斎か物置かよくわからないこの部屋こそが現在ワタシの置かれている場所である。 ワタシがこの部屋に来たのは、といっても自身の意志でここに来たわけではなく、この部屋の主人である初老の男性に“連れてこられた”といったところであろうか。 私は本なのである。歩くことも話すことだってできない。しかし、そこいらの本たちと一緒にしてもらっては困る。どこで見たり聞いたりしたわけではないが、きっと私の中に印字されている文字たちは崇高かつ高
僕の友人であるAは、若者には似つかわしくない、また当時から相当変わっていた“収集癖”を持つ男だった。 そのラインナップは様々で、用途不明の壺や置物の数々、底まで型が落ちているであろうTVやラジオなどの類いの電化製品も収集していた。その多くは月に一度近所で開かれる骨董市や近所の知り合いからの掘り出し物がメインのようだが、本人曰く「掘り出し物」と言っているだけであり、他人から見ればそれは紛れもなく「掘り起こし者」に相違なかった。それに加えて、道に捨てられているのか、はたまた
僕の毎朝は「占い」で始まる。毎朝8時を回る少し前、家を出る直前のタイミングでその占いは放送される。こんなどこにでもありそうな占いを気にするようになったのにはあるきっかけがあった。 去年のある日、しし座の僕はTVから流れる一つの占いをそれとなく聞いた。 「しし座のあなた!今日は何をやっても成功するでしょう。何事も前向きにチャレンジしていきましょう。そんなあなたのラッキーアイテムは靴べら。ラッキーカラーはブラックです。」 その日はたまたま黒のスーツに黒の革靴で勤め先のブラック
駅前のロータリーを挟んだ先の通りに小さな眼鏡屋が新装開店されている事に気付いた。地方駅と言えど、駅前の一等地となると店舗の入れ替わりも激しいのだろう。「ここのファミレス良かったのに潰れたか」多くの店舗が立ち並ぶ場所においてこんな気づきはしばしばあった。また、このような自分の意志ではどうも左右できない気づきがたまらなく好きでもあった。 しかし、今までの経験において、「ここに眼鏡屋が出来たのか」このような気づきは初めてだったかと思う。どうして気付けたのだろうか。その理由は簡