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フォークソングのような温度帯で

「フォークをバカにする奴とは、友達になりたくない!」
親しい先輩の家で、勝手に実家の自家製梅酒のロックを飲みながら語ったことを覚えている。いや、おじさんは「ひとんちの実家の梅酒」というところが好きなのよ。愛を感じるじゃん。「お前も本当に自分勝手な奴だな」という、もう一人の自分が、梅酒を飲んでほろ酔いになっている自分に、冷静に語りかける声が聞こえた。

しかし、冷静に考えても、やっぱりフォークをバカにする奴とは友達になれない。実際にバカにされたことはないが、バカにされている気がしてしまう。人はどうして無意識のうちに、こんなにもマイナス思考で考えてしまうのだろうか。自責しながらも、それはマイナスではなく、クリティカルであるということで。やっぱり、フォークはバカにできない。

フォークとは、彷徨い人たちの歌。
フォークとは、彷徨い集った人々が夜に焚き火を囲んで歌った歌。
ルーツは、一応、アメリカの民謡や山岳音楽に由来しているとか。

イメージとしては、ノマド、旅する人々の歌。ギターがあれば、誰でもフォークシンガーになれる。フォークは、地に足をつけて、動き回り、いろんな物事を見てきた人たちが世界を歌う歌。支配せず、動き回る人々の歌。その中には、もちろん「経験」に基づく社会へのメッセージもある。

そこには、何者でもない、何にも属せない、まさに「Nowhere Man」たちの、一種の諦めを含んだ語りがある。その諦めが、押しつけがましくない涼しい温度帯で、物語としてリスナーの耳元にとどまり、漂う。

フォークは、何者にもならない歌。
フォークはフォーク。

「カントリー・ロード」は、日本の教科書には載っているらしく、「ああ、聴いたことある曲!」と思われるかもしれない。しかし、ジョン・デンバーは「それで何?」とも答えず、ただ

Country roads, take me home to the place I belong
私がいたはずの場所に連れてって、カントリー・ロード

と歌うだけだ。

この、すぐに何者かになろうとする、何かを立ち上げようとする世界の中で。
ましてや、2025年において、点だけを打ち、何の文脈も形成しないままフォークを歌う人たちは、リアルな経験を歌い、フォークに心癒される人々は、歌詞とリズムに経験を照らし合わせる。

フォークがダサいだなんて?
誰かそんなこと言ったん?

フォークとロックは、温度帯が違うだけで Forever だよ!
みたいな適当なことを書いてしまった。


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Jong | 三浦宗民
この先も、最終着地点はラブとピースを目指し頑張ります。