私はレモンキャンディを飲み込んだ。
外回りからの帰り、大雨で道路が混んでいて車が中々すすめなかった。運転席には私、助手的には会社の先輩が座っている。外回りの直後だからか、まだ仕事の緊張感が残っていた。私は少し場をやわらげるために、カーラジオが流した。低い声をした男性声が流れ始めた。
”これはマルーン5の新しいアルバムの中で、私が最も好きな曲です。ウィスキー。歌詞を訳してみると”
木の葉が散る9月だ。夜の寒さが彼女を身震いさせる。
”僕の上着を着なよ。”と僕は言った。
そして、彼女の肩にしっかり上着を着せかけてやる。彼女がキスをしてくれるまで、僕はまだ子どもみたいなものだった。
彼女のキスはまるでウィスキーのようだった。
”という歌詞の曲です。ウィスキーとキスは男の通過儀礼みたいなもんですから。なんかね。素敵な歌詞です”
曲のリクエストが終わって、ラジオではCMが流れた。
”聴いているだけで恥ずかしくなるけど、なんかね。素敵だね。”と助手席の彼女がつぶやいた。
”私はないですね。ウィスキーのようなキスをしたことが。”
”キスしたことないの?”
”からかわないでください。キスはしたことあります。でも僕はウィスキーを飲んだことがないので、それがウィスキーのようなキスだったかどうかが、わからないだけなんです。”と私は言い返す。
”へぇ、考えていることが真面目だね。らしいよ。なら、それはどんなキスだったの?”
”ふぅん…”
私は答えるのに少し時間がかかった。とはいっても茶色の信号が青に変わるまでの数秒くらいだ。そのわずか数秒で車のドアポケットにレモンキャンディがあることに気が付いた。
”強いて言うならレモンキャンディですかね。”
”なにそれ、甘酸っぱい青春って感じ。キスの相手は初恋だったとか?”彼女は微笑んでいた。
初恋、久しぶりに聞いた言葉だ。いつの話だろう。高校に通って、大学を出て、気がつけば社会人。社会人という言葉の響きにさえ、無感覚になって当たり前になっている、今頃に初恋について思い出すことがあるとは思わなかった。そもそも初恋なんてあったのだろうか、記憶さえ薄れている。初恋の顔さえも覚えていないかもしれない。今、もし偶然に出会ったとしても、変わった顔をわかることはできるだろうか。
時間の流れとともに、季節が変わるかのように、新しい人に出会い、別れることを何度繰り返していたのだろうか。そんな私は今も恋をしている。だから記憶が薄れているとしても、初めての恋は確かにあった。少なくとも今の私が恋している彼女が恋に落ちた初めての人でないことくらいはわかっているからだ。
”初恋だったと思います。初めてのキス、確かに甘酸っぱいイメージはあるけど、あれは本当にレモンキャンディのようなキスだったんですかね。”
”わからないならキャンディ飲んでみたら?”と彼女は話し、ドアポケットからレモンキャンディを手に取って、私の口元に当てる。
レモンキャンディは確かに甘酸っぱかった。大量で袋詰めされている安いフルーツキャンディの中に入っているレモンキャンディの味だ。砂糖とレモン風味の味。
”甘酸っぱいですね。でも私は初恋が甘酸っぱかったのかどうか、思い出せないんです。もしかしたら、あの頃のキスもウィスキーのようなキスだったのかもしれない。”
”じゃ、今度飲みに行こうよ。ウィスキー”
”いいですよ。でも私、お酒強くないのでお手柔らかにお願いします”
カーラジオが流れている。でも、その内容は頭に入ってこない。私は頭の中で次の休日がいつだったのか思いながら、彼女と飲むウィスキーが楽しみで仕方がなかった。