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元祖平壌冷麺屋note(163)
出勤途中の道で、常連のおばちゃんに声をかけられた。お兄ちゃん、昨日、お店休んどったん? 体調でも悪いんか?
おはようございます。実は、昨日は・・・
兵庫朝鮮吹奏楽団の、5年ぶりとなる定期演奏会の本番に、団員として出演したのだった。会場は、神戸新聞松方ホール。娘も同行し、リハーサルから観覧した。
プログラムは、朝鮮の曲、日本の曲、洋曲を交えての三部構成。
■第 一 部
・ウィーンフィルのためのファンファーレ
・아리랑 / アリラン
・청산벌에 풍년이 왔네 / 青山里に豊年が来た
■第 二 部
・セドナ
・ハナミズキ
・海の男たちの歌
■第 三 部
・교향곡 「 피바다」 / 交響曲「 ピバダ 」
第1楽章
피바다 / 血の海
第2楽章
일편단심 붉은 마음 간직합니다 / 一途に紅き心を尽くします
第3楽章
혁명의 기치 / 革命の旗幟(きし)
団長が交響曲「ピバダ」を演奏する前に、楽団の思いを語った。
「今、現在も戦争が、汚い言葉でいうと、殺し合いが行われています。
そんな悲しい世界の中で、何が生まれるのかというと、虚しさだけです。
この曲は、第二次世界大戦があって生まれた曲でした。
ある日、朝起きたら、自分の生活、言葉、そして国、故郷はもちろん、自分の家族を奪われてしまった、オモニ(お母さん)のお話です。
そのオモニが自分の国を奪われて、どう生きて行くのか、
民族として、どう立ち向かって行ったらいいのか、
ということが背景で語られています。
この戦争では、<朝鮮>という国が無くなりました。
一体この国を誰がなくしたのかとか、この国を誰が攻めてきたのか、そういうことを約80年も経って蒸し返すのではありません。
このピバダという曲が生まれたのちに、
我々、兵庫朝鮮吹奏楽団という楽団も生まれています。
<兵庫、朝鮮、吹奏楽団>という名前もおかしいと思っています。
元来、兵庫は日本の国の中の地域であり、朝鮮というのは国の名前ですから。
これも戦争のもたらした何十年後の悲劇でしょう。
一人でも多くの民族同士が、日本に住みながらも、いろんな世界の人たちと仲良くなれたり、心を通じ合えたり、そして、何よりも平和になることを願って、この曲を演奏します。
そして、これからも演奏していきたいと思います。」
そのあとの団員の魂を込めての演奏が、いかに熱かったかは、観覧者の感想に委ねたいと思う。
入団して20年。
いま、兵庫朝鮮吹奏楽団の一員として、舞台に立てることを当たり前と考えないようにしたい。団長の言葉を心臓に刻みながら、いつまでも熱い気持ちを忘れないで、初心に戻ろうと思った。
帰り道、娘にどの曲が良かった?と訊ねたら、「5番目の曲!」と答えていた。
その曲も、やはり、平和を願って作られた曲(ハナミズキ)だ。
それでも、娘は「チャランチャランラン、チャランチャランラン」とずっと口ずさんでいた。ビート・イズ・ゴー・オン。
チョンサンポルのチャンダンが、小さな体に刻まれたようだった。