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「 罪の声 」を聴かせて【 映画と本の紹介 】


3年前に原作の小説、塩田武士「 罪の声 」を読みました。その年は80冊の本を読んだのですが、その年のマイベスト5に入ったほどなので、よく覚えています。(ちなみに本屋大賞3位、このミス1位でした)


小説のもつ力の強さに、真実を追う者の姿に、事件の闇に、ただただ引き込まれ、どうしてもフィクションとは思えませんでした。


では、映画はどうでしょうか?


あの厚みも内容も重みずっしりの原作の「 イズム 」を残しながら、しっかりと脚本に落とし込んでいたのが、良かったです。

原作ベースの映画でありがちなのが、筋だけを拝借して空気感を表せず、「 映画は別物 」と割りきってしまう残念なパターンですよね。

今作では、そのようなパターンにはならず、それどころか原作の良さと映画の良さをうまく噛み合わせて、さらなる名作に仕上げていました。

脚本を担当した野木亜紀子の功績が大きいでしょう。(ドラマのMIU404も担当したと知り納得しました)

また、主人公たち(星野源=テーラーの曽根俊也、小栗旬=記者の阿久津英士)が、ハマリ役だったのも良かったです。

気にしなければ気にならないのですが、主人公二人の関西弁に、ところどころ違和感を覚えました。気にし始めたら気になるんですよね(笑)

星野源と小栗旬の演技が、見事でした。実話をベースにしてはいますが、二人は架空の人物です。しかし、実際に存在するとしか思えないほど違和感がありませんでした。(関西弁はさておき)

特に星野源(曽根俊也)は、押し入れから幼少時の自分の声が録音されたテープを発見します。それは、グリコ森永(作中ではギンガ満堂)事件の犯人グループが、身代金の受け渡しの指示をするために録音した子どもの声と同じものだったのです。

それを知ったときの曽根俊也の驚き、事実を追いたい気持ちと家族を守りたいという気持ちのせめぎ合い、そして調査の末にたどり着く境地を見事に演じていました。

また、35年前に子どもだった、実在の人物も、もう40代の成人だという事実に愕然とします。

本当の「 声 」の主は、今、どこでどう暮らしているのでしょうか。(曽根とは対象的に不遇な半生を送った、もう一人の声の主を演じた宇野昌平も、ものすごい存在感でした)

そして、当事者とは違う視点で事件の真相を求める小栗旬(阿久津英士)の存在が、作品に立体感をもたらしています。

文化部でスカスカの記事を書いていた阿久津が、事件を追う過程で、ジャーナリズムの在り方を模索しながら、記者として成長して行きます。飄々としながらも、少しずつ成長する心の機微を演じられるのは、名優だからこそですね。

今作は原作を凌駕するほどの作品だと思います。


ところで、映画は現実を動かす力を持っているのでしょうか?

韓国では映画「 トガニ 」を観た人たちが、作中に登場する実在の学校や裁判所に対する抗議運動を広げ、新しい法律を作らせたという例もあります。

例えば、「 罪の声 」を観た、実際の被害者や当時のジャーナリストや警察、または新たな証言者たちのアクションによって、戦後最大の未解決事件の真相が明らかになるとか?

過去と、今と、未来の子どもたちのことを考えながら物語の余韻に浸っていると、おなじみのナレーションがスクリーンに記されました。

「 この作品はフィクションです。実際の人物や団体などとは、一切関係ありません 」

もしその通りだとすれば、ドキュメンタリーとフィクション、ノンフィクションの境目はどこにあるのでしょうか?

今作に限って、そのような感慨が、ふと浮かびました。


やがて、素晴らしい歌声が劇場内を包み込みました。奥深い歌詞が、静かに心に染み渡ります。

これから劇場へ足を運ぶ方は、くれぐれもuruの歌う主題歌「 振り子 」を聴き逃しませんように。(完)

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