元祖平壌冷麺屋note(125)
山下トリオの演奏を聴きながら、山下洋輔の最新エッセイを読むという贅沢な読書を続けている。
グガン、寿限無、ボレロ、やわらぎ、ラプソディー・イン・ブルー、エトセトラエトセトラ。ハナモゲラ、あ、これは違うか。
手を滑らせてゲーム機を落下させてしまった娘が、
「割れちゃったら、泣いて泣いて、おにぎりを食べて、太って、家出しちゃうんだから」と面白いことを言ったので、まやむすびへおにぎりを食べ納めに行った。
家出したら何処へ行くのかな、という質問に、丁寧に全部告白してくれたので、それだとすぐに探せるね、と店員さんと一緒に笑った。
冷麺屋は、問い合わせの電話が鳴り止まず、ひねもす忙しかった。帰省して焼肉をする団体さんや、冷麺を食べ納めに来る常連さんや、休暇で遠方より来たお客さんたちが冷麺を啜っていて、美味しそうだった。
「年越しそばやなくて冷麺やけど間に合うかな?」と話すお客さんに、「冷麺は大同江のように長いので、じゅうぶん年を越すことができますよ」と答えた。
久しぶりの行列。水分補給する間もないくらいだったからか、賄いの冷麺を食べながら、やはり冷麺は飲み物かも知れないな、と感じた。
帰り道は「徹子の部屋」の今年の最終回、ゲストはタモリのやつをTverでラジオのように聴きながらだったので、電車でも、歩きながらもニヤけている怪しいオッサンであったことは間違いない。
喜寿を迎えたタモリが生まれたのは、終戦の一週間後だったらしい。ギリギリ戦後世代。来年はどのような年になるでしょうか? という黒柳徹子の問いには、「新しい戦前になるかも」と軽いトーンで答えていた。
ふふふふふ、という黒柳徹子の返しには、流石と思った。ノーコメントのようだけど、そうではない。受け流しているようでいて、そうでもない。含蓄のあるようで、無いようで。
さて、明日は、冷麺屋の営業最終日だ。
ふふふふふ。