「空気を絞って水を滴らすほどのエネルギー」で書かれた司馬遼太郎の短編
文藝春秋から『司馬遼太郎短編全集』というシリーズが全12冊で出ている。その第一巻、二巻、四巻、六巻という4冊がなぜか部屋の本棚にあった。第一巻(2005年4月第一刷)、二巻はともかく、なぜ四巻、六巻なのか、よくわからないが、この約1カ月ですべて読破してみた。
『竜馬がゆく』『坂の上の雲』『花神』『菜の花の沖』ほか、彼の長編作品はあらかた読んでいる。この年初には、最後の長編小説『韃靼疾風録』にも目を通し、楽しませてもらったところだ(ああ忘れていた。長尺の歴史ルポ『街道をゆく』はまだ数冊しか読んでいない)。
短編作品を発表順に掲載
この短編全集のよいところは、1巻から12巻まで、雑誌などへの発表順に作品が並べられていることだ。たとえば、第一巻は1950年から1957年まで、司馬が27歳から34歳までの21篇が収められている。各巻の末尾に置かれた書誌家・山野博史による「司馬遼太郎短編作品通観」により、作品発表の年月と掲載媒体、当時の司馬の年齢が確認できる。しかも、各通観には短編以外の長編作品も、同じ時系列に沿って掲載されているのが嬉しい。
司馬はかつてこう語ったそうだ。「短編小説を書くというのは、空気を絞って水を滴らすほどのエネルギーがいる」と。その言のごとく、すべての作品に、注ぎこまれた司馬の魔王のようなエネルギーを感じた。
決して剣豪もの、幕末政治ものばかりではない
司馬遼太郎といえば、幕末、戦国もの、侍もの、維新もの、戦争ものといった男らしく、硬いイメージの作品を量産した作家として世間では受け止められているが、特に初期の頃の短編作品を見ると、そのイメージが覆る。
たとえば、第一巻の冒頭に掲げられた「わが生涯は夜光貝の光と共に」では、「螺鈿(らでん)細工の復興と螺鈿芸術の完成に一生をぶちこんだ」人間が主人公であるし、「大阪醜女伝」では己の醜さへの反発から一図に金を溜め込んできた、31歳の飲み屋の女が、一世一代の勝負に出る。かと思えば、「マオトコ長屋」は、名探偵は出てこないが、殺人事件の犯人あてのミステリーであり、歓喜仏が書かれた絵を手にした夫婦の物語「白い歓喜天」は一読、純文学ともいえそうな作品である。
第六巻では1962年、39歳のときの作品が並べられているが、この1962年は『竜馬がゆく』と『燃えよ剣』の新聞および雑誌連載をスタートさせた年とあって、短編も幕末・武士ものを中心に12篇が収められている。そのうち、新鮮組ものが最も多くなっており、その視点は『燃えよ剣』の主人公たる土方歳三のそれが目立つ。これら短編には『燃えよ剣』の成立に主要な要素がほとんど詰め込まれていたのだろう。
ノーベル文学賞を獲ったかもしれない
この4冊中で最も印象深い作品といえば、第一巻に収められた「ペルシャの幻術師」である。これは同名で文庫化されており、未読ではなかったが、改めて読み、33歳でこれを書いた司馬はやはり天才だと思った。伝説の幻術師グラベッド・アッサムと、大蒙古帝国「元」の王子のお妃候補たる美しいナンの一瞬の交錯を描く。そのプロット、筆致、エンディングまで、間然するところがない。
司馬の作品がほかの言語に翻訳されて読まれているかどうかはわからない。生前、もし英訳でもされ、欧米に少しでも知られる存在になっていたら、ノーベル文学賞の候補者になったのではあるまいか。そんな思いを禁じ得ないのである。