見出し画像

軽出版と橋本治

 昨夕、東京・神保町のシェア型書店(棚を個人で借り、そこに売り物の本を置く)パサージュで行われた座談会に行ってきた。文筆家・編集者の中俣暁生さんと、パサージュの店主にして、稀代の本のコレクター、あるいは書評家・書き手としても有名な元明治大学教授で仏文学者の鹿島茂さんが、中俣さんがこの4月に自費出版した『橋本治「再読」ノート』を巡って90分ほど談論するというもの。

中俣さんいわく、80ページほどで、消費税込み1520円のこの本は「軽出版」の初めての試みなのだという。軽出版とは中俣さんが命名したもので、文芸フリマなどで売られている、雑誌形式、紙主体のZINE(ジン)と、ひとり出版社などが作っている装丁も立派な単行本との間に位置し、表紙もヒラヒラ、中身のデザインも章タイトルと小見出しが強調されているほかは、素っ気ない。編集からデザインまですべて中俣さん自身で行い、販売はネットと、文学フリマ、それに、パサージュの棚を借りて〈そこを通して)、という3種類で行っている。

詳しい数字はメモし忘れたが、神奈川近代文学館で「帰ってきた橋本治展」などが開催されたこともあり、既に数百部を売上げて利益が出、二刷まで行っているのだという。実際、私が購入したのも二刷目のものだった。

掲載されている原稿は、書名と同じテーマで10回分、ネット連載されたものをまとめた約4万字のものだ。これくらいの規模の原稿だと、普通の単行本にはならない。なったとしても、売れるかわからない。そこで、中俣さんは自費出版を思い立ち、既に一般化している軽印刷という言葉からヒントを受け、軽出版と名付けたそうだ。

もの書きが自分で書いた原稿を、自分で編集、デザインし、印刷して(ここだけは外部の力を借りる)、自分で売る。これこそ、出版の原点だと鹿島さんが強調する。

江戸時代は本屋といえば古本屋に決まっていた。そのうち、古本屋自体が版木を扱いはじめ、それで刷った新刊本を売り出すようになる。本の売れ行きとともに文屋の数が増えていき、そのうち、取次といって、他店の売り物(本)を扱う本屋も現われ、じきに、それだけに特化する組織ができる。現在の東販(トーハン)、日販(ニッパン)の往時の姿である。しかも、日本の取次の特徴として、書籍も雑誌も漫画も扱っている。こんなに広範な品揃えを誇る取次システムは世界でも珍しいそうだ。

その取次含め出版界が紙の本が売れず、苦境に陥っている。鹿島さんは、「日本の出版システムは崩壊に近い。第二次大戦の趨勢と重ね合わせると、今は米国軍に対し、予想外の大敗を喫した、昭和19年10月のレイテ沖海戦の時期にあたるのではないか」と危機感をにじませる。

そんな闇夜に、一筋の灯りになるのではないか、というのがこの軽出版なのだという。その対極にあるのが、重出版である。文庫本や雑誌など、万単位で刷り、その分だけ売れないと困る、大衆向け商品だ。軽出版は刷り部数も値段も、著者本人が決められ、テーマも大衆向けを狙わず、ニッチでいい。むしろニッチのほうが売れるのではないか、というのが鹿島さんの見立て
だ。

作家の主要な登竜門は文学賞を受賞することである。そこを通過し、本を出して初めて作家と認められる。逆にいえば、そこしかない。しかもそれを通るのは針の穴のような世界だ。そうではなく、たとえアマチュアの段階でも、軽出版で自分の作品を売り、お金を出して買ってもらう。その養成期にも使えるツールになるというのが、中俣さんが主張するところでもある。

座談会は橋本治こそ、分業を拒否し、何から何まで自分でやった天才だったという話を膠(にかわ)に、軽出版と橋本がくっついていったのだが、橋本治論は長くなるから採録は止めておこう。ただし、僕は橋本さんには一度、インタビューしたことがあり、そのときの丁寧な物腰と、うわぁ、そんな展開の話になるんだという驚きを感じたことは今もはっきり覚えている。

この文章の結論。
僕も軽出版やってみたいな。







この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?