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中村天風と出会って考えたこと

中村天風という人

 この夏から秋にかけて、中村天風の著作と関連本を読み漁っていた。
 中村天風(なかむらてんぷう)。経歴を記すと、こんな感じである。
 1876(明治9)年東京生まれで本名は中村三郎。日露戦争の軍事探偵として満州で活躍するが、帰国後、死病の奔馬性結核に罹ったことから己の人生を見つめ直し欧米を遍歴するも答えを得られず、その帰路に偶然、ヨガの聖者と知り合い、ヒマラヤの麓で直接修行を受け、病を克服する。帰国後、実業界で活躍するが、感じるところがあり、1919(大正8)年、地位や財産を放擲し、「生き甲斐のある人生を活きる実践哲学」の講演活動を始める。のちにそれが天風哲学として世に知られるようになり、政財軍の大物はじめ、芸能人、皇族など、数多の人から支持され、その数は10万人と言われる。彼が最初に組織化した統一哲医学会は天風会と改称され、1962(昭和37)年に財団法人の設立許可を得た。1968(昭和43)年逝去。享年92.最近ではかの大谷翔平選手がその信奉者として知られている。
 
生きていることの最奥にまで突き刺さる
 この天風本、彼の手になる三著作含め、講演録、弟子による解説書、天風または天風本の感化を受けた人による実践記・取材記を入れると、汗牛充棟といえるほどあるが、備忘録という意味合いも含め、ここは思い切って、彼の有益な教えを短く紹介してみたいと思う。
 天風といえば、「ポジティブ・シンキングの元祖」と言われることが多いが、その教えはネットには掲載されず、曖昧模糊であるか、箇条的で体系立っておらず、本を繰らないとなかなかわからない。
 最初に言っておきたいのは、私がこの年齢で天風(関連)の著作に多く触れ(3冊の本人著作のうち2冊しか読んでいないが)得たのは僥倖としか言いようがない。正直にいえば、誰に感化されたわけでもない、必要があって、自分で読み出したのである。
 いやあ、天風本、こんなに深く、生きていることの最奥にまで突き刺さるような、正鵠を射た内容だとは思わなかった。しかも、天風、文章がうまい。特に講演では、ときどき、江戸っ子が顔を出し、べらんめえ調になる。それが何ともいえない味がある。

人間とは何か 
 余計な文章が過ぎた。
 天風哲学の要諦中の要諦。
 人間とは何か、ということである。
 人間は心だ。これが唯心論。いやいや肉体だ。これが唯物論。天風はその2つとも否定する。心や体というのは自分の命を生かすための道具に過ぎず、命の中枢を成しているのは、気体。日本語でいうところの霊魂、あるいは英語でSoulという。天風いわく、「我とは、心でもなく肉体でもなく、生命エネルギーの中枢を把握する尊厳なる霊魂と称する気体なり」。
 ヨガの聖者に出会う以前、天風は自分の体が結核に罹ったと気づいたとき、「私が病気だ」と思ったが、それは間違っていた。「私の命が活動する肉体という道具が傷んだだけだったんだ」と。そう考えると、病がすっと軽くなっていったという。
 自分の命の道具が損じていると考えると、物事は客観的になる。すなわち、距離をおいて見られ、心がそれにとらわれない。一方で、自分が病んでいると思うのは主観的であり、そうなると、そればかりに心がとらわれてしまう。
 心を超越した人間、これを天風は「真人」と呼ぶ。心に使われず、逆に心を使う人である。
 その真人になるためには、心をいつも前向きに、積極的にしておく必要がある。不平不満を口にせず、「正直・親切・愉快」をなすべきモットーとし、「今日一日、怒らず、怖れず、悲しまず」を欠かさず実行する。
 もし、感情や感覚に刺激を受け、何らかの衝動を受けた瞬間、まずおのれの肛門を閉め、両肩の力を抜いて、下腹部に力を充実させる。あたかも、徳利が腹にそのまま入ったように。ヨガでいうところのクンバカハ法である。
 人間認識の更改、日々の送り方、もしものときの対処法、この3つを自分のもの、自家薬籠中のものにしていきたい。


 

 


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