アルゼンチンロックの旅1979年
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アルゼンチンロックの旅1979年。1978年のサッカーW杯の地元開催、そして優勝で幕を下ろしたアルゼンチンだが、その時にブエノスアイレスに集まった観客等によって当時のアルゼンチンの軍事独裁政権の状況が分かってしまったみたいだ。また反対運動も少しずつ火がついてきた。
隣国チリとパタゴニア周辺を巡り、衝突も起きている。
そんな1979年の音楽はと言うと、クラッシュの「ロンドンコーリング」の年。スリッツ、XTC、ポリス、B52sなどポストパンク・ニューウェーブの時代になる。
またドナ・サマーやマイケル・ジャクソン、アース・ウインド&ファイヤー、シックなどディスコ・ダンスミュージックも流行ってきた。
その頃のアルゼンチンロックは、なんとALMENDRAが再結成。SERU GIRANは着実にセカンドアルバムリリース。
①ALMENDRA / en Obras I y II
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1979年12月にALMENDRA再結成コンサートが行われ、31,000人を動員した。ずっと再結成の話はあったみたいだが、なかなか実現できてなかった。spinettaの充実した活動はもちろん、その他のメンバーも充実した音楽活動を送っていたと思う。しかし、やはりALMENDRAは特別なバンドだったと思う。アルゼンチンロックの最初期のバンド、アルゼンチンロックを作ったバンドだ。
しかし、やはり軍事独裁政権下、ライブへ行くのも命懸けだったようだ。実際に結構な人数が逮捕されたそうだ。
ライブでは名曲群に混じり、新曲もやっていて、再結成後の新譜にも繋がっている。
②SERU GIRAN / La grasa de las capitales
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その頃、チャーリー・ガルシアは…。
着実にセカンドアルバムを作りました。この印象的なジャケットはアルゼンチンの雑誌「GENTE」をモチーフにしているらしいです。音楽的には前作同様プログレッシブだけど、耳残りがいい素晴らしい音楽です。個人的には、pedro aznar作曲の「Paranoia Y Soledad」が好きです。美しいメロディ。みんな作曲できるのがアルゼンチンのビートルズと呼ばれる由縁。
あと歌詞ですね…。例えば「viernes 3 AM」という曲は「午前3時は自殺の時間だ。だからバックグラウンドで時計の音が聞こえる」というような歌詞で、自殺と絶望をテーマにしているため検閲された(ラジオでの再生が禁止され、販売制限が設けられた)。彼らは戦うロックバンドでもあった。
③Raúl Porchetto / Mundo
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さて、続きましてはRaúl Porchetto。前作の流れを残しつつ、歌物のAOR〜フュージョン寄りのロック。センスが光ります。アレンジも素晴らしく、ジャジーさもしっかりと味わえます。
④banana / Aun Es Tiempo De Soñar
最後はプログレを!こちらはバナナというバンド。ちょっとラテン風味のプログレ。こちらもプログレ界ではかなりの名作かと。
アルゼンチンでプログレが華開いたのは、南米だけど、かつて「南米のパリ」と言われたくらいで、やはりヨーロッパ、クラシックの教養が高かったのではと思います。それに南米の泣きのメロディがあり、素晴らしいものになっていると思います。
さて、アルゼンチンロック70年代はこれにて終了。80年代は民主主義に戻ります。イギリスとは80年代初頭にマルビナス戦争になりますが、アルゼンチンロックは音楽の影響としてはイギリスの影響の方がアメリカより大きいような気がしてます。またその話はこれから!それでは!
chao!