見出し画像

夜みた夢の変遷と叶えたい夢

2年前まで、先生をやっていた。

仕事は好きだったけど、決して器用ではなく、なにかと時間がかかった。
年齢を重ねるにつれ、「やりたいこと」もいろいろ出てきて、
「やらなきゃいけないこと」からいつまで経っても抜け出せず、
「やりたいこと」に手が届かないもどかしさは、常々感じていた。

慢性的な疲労と、膨大な睡眠負債を抱えていたあの頃、
よく見ていた夢がある。

高いところから落ちる、
飛べるはずなのに飛べない、
カーブで曲がりきれず海に落ちる、
うるさい教室で子どもたちのおしゃべりを止めたいのに声が出ない。

あまりにも衝撃的だった夢を見た後は、
起きてすぐ携帯で「夢占い」を調べた。

ストレスを抱えている、
それを誰にも打ち明けられずにいる、
心に不安を抱えている、
現実ではどうにもならないストレスを夢の中で憂さ晴らし。

ろくな診断が出ない。まあ、当然の結果というか。

休職し始めの頃、だんだんと増やされる薬に合わせて、
昼も夜もとにかく寝ていた頃。

不思議なもので、仕事をしていた頃には見なかった夢、
私は教室で、しっかりと先生をしていて、
子どもたちも一生懸命、勉強している。
とても平凡な、ある学校の、ある教室。

夢から覚めると、
仕事ができなくなってしまった自分がいるだけ。ただそれだけが現実。
夢と現実のギャップが辛くて、楽しい夢のあとは、いつも泣いていた。
お昼寝の後、そうなることが多くて、お昼寝が怖くなったりもした。

そして、現在。
復職か退職かの選択を迫られて辛かった半年間が嘘のように、
けっこう落ち着いて、別の仕事を探さなければ、という方向に、
気持ちが向いている。

たぶん、私が「教員」を諦めるためには、
半年の時間が必要だったということだと思う。
今は、わかる。あんなに刺激的な場所にいたら、
すぐに躁転してしまう。行き着く先は、鬱々と過ごす日々・・・

そんな現在は、どんな夢を見ているかというと、
最近あまり、夢を見ない。
見ても忘れているか。
熟睡してるってことでいいのかな。

そして、叶えたい夢の方は・・・

私が躁だったとき、躁だから楽しめた出来事があって、
ある施設にストリートピアノがあって、
やってるのはずっと知ってたんだけど、
私なんかが挑戦できるもんか、と思ってチャレンジできずにいた。

躁の私は、それを軽々とやってのけた。
通して弾ける曲なんて「エリーゼのために」くらいしかないのに。

忍耐力のない私は、最初の数段で練習をやめてしまうため、
最後まで弾ける曲のレパートリーが本当にない。
でも、「誰もが知っている名曲の最初のワンフレーズ」なら、
何曲も弾ける。

他の人たちが、けっこうがっつり一曲をしっかり弾いて帰る中、
私は、「誰もが知っている名曲の最初のワンフレーズ」メドレーを奏でていた。

そうやってストリートピアノを弾いているうちに、
係のおじちゃんに声をかけられて、
きちんとしたホールでの演奏を許可された。驚きと喜び。

しかし、「最後まで弾ける曲を3曲用意してくれ」と頼まれた。
すぐに思いついた手は、私は鍵盤ハーモニカで、
ピアノが上手な人に伴奏を頼もう!!と。

頼んだ方は、快く引き受けてくれて、
その方は、ピアノを、私は、鍵盤ハーモニカを、
ホールで気持ちよく演奏することができました。

だから、またやりたい。
ストリートピアノも。
伴奏つきの鍵盤ハーモニカ演奏も。
もちろんホールで。

いいなと思ったら応援しよう!