back numberと自己肯定感の話
これを読んでいるあなたは、自分のことが好きですか?
私はというとまぁ全然好きじゃないですね。
というか大嫌いです。
容姿とか、容姿とか、容姿とか。
それで卑屈になる自分の心とか。
気が利かないところとか。
協調性がないところとか。
自分のことを好きになることが自分の人生の課題だなと感じているし、今一生懸命その努力をしている最中ですが、その課題と向き合うためにはback numberの曲が必要不可欠なわけです。
突然ですが、自己肯定感の仕組みのようなもののお話をしようと思います。(私の勝手な考えです)
自己肯定感が低い人って、どうしたらあげることができるのでしょうか?
俗に言う「まずは自分を愛してあげること」がおそらく答えではあるし、そんなことはわかってるんですが、それができたら苦労しません。それができなくて困ってるんですから。
自分でさえ愛してあげられない自分自身のことを他人に愛してくれよ、なんてわがままだとわかっているけど、誰かが愛してくれたら、もしかしたら自分のことを愛せるようになるんじゃないか、って思ったりしたし、今も思ってしまいます。何かの手違いで好きになってくれないかな、とはまさにこのこと。
でも、自己肯定感って掛け算と足し算みたいなもので。
自分のことを嫌いだって思い続けて、自己肯定感が「0」の状態で他人から突然「可愛いね」「すごいね」「素敵だね」と言われたところで、ひねくれた私は「きっと嘘だ」とか、「気を遣わせてしまった、きっとこれはお世辞に違いない」とか「からかってるだけだ、反応を楽しんでるんだ」くらいにしか思えないわけです(実際に「可愛い」という言葉はからかいの言葉だった)。
だから、0には何をかけても0のまま。
他人からの愛は掛け算になってしまうことがあるんですよね。(もちろん人によって違うとは思うけど)
だから、「まずは自分で自分を愛すること」というのは、0の自己肯定感を1にする足し算の作業なんですよね。ゼロから1にするのってめちゃくちゃ難しいんですけど。でもこれがないと何をかけてもゼロのまま。誰に何を言われても素直に受け取れず、ずっとゼロのまま。
何が言いたいかと言うと、back numberの曲は、自己肯定感がゼロでもそばにいてくれる曲がたくさんあるよねって話です。
たとえば「あかるいよるに」
"生まれた時からずっと一緒にいるわりに
ずいぶん息の合わない 心と私"
"だからもうどこにも行かないでね
私も離さないようにするから
ああ芝生の緑に
寝転ぶようにそっと育てられたら"
これは自分の心とのお話。
さっき言った「自己肯定感は掛け算と足し算」理論で言うと、誰しもきっと自己肯定感の種は持っていて、それを植木鉢に植える作業が「足し算=自分を愛すること」。
水をやったり肥料をやったり、お日様の光を浴びたりするのが「掛け算=誰かに愛してもらえること」。
でも、種を植えてもどうせ芽なんか出ないって思ってしまうんですよね。もしくは種を持っていることにそもそも気づけない。
まだ種を握りしめてる状態の私なんかでも主人公になれるback numberの曲があることで、「種植えるの大変だよね、ゆっくりで大丈夫だよー」って言ってもらえてるような気がして救われるんです。硬く握りしめた手にそっと手を重ねて「ほら、あなたも素敵な種を持ってるんだから気が向いたら一緒に植えてみようよ」って。
"心は誰にも見えないのだから
見えるものよりも大事にするといい"
"雑音と足音の奥で私はここだと叫んでいる"
(水平線)
"このまま誰にも愛してもらえなかったら
ダダダンディディディンドゥドゥドゥン
デデ どどどうしよう
僕だって適度な勇気とアイデアで
君を襲う悲しみを真っ二つにしたい"
(ヒーロースーツ)
"あるがままの姿で自分のままで生きさせて
努力は実りづらいがきっと人生は素晴らしい"
(ベルベットの詩)
"空気を読んだつもりが
これじゃ僕が空気だよな
もっと爽やかに変わりたい
誰も彼も笑顔にできちゃうような"
(泡と羊)
"本当の自分はどこにいるんだ
僕らしいって何色なんだ
足して混ぜて出来たものが
綺麗な色じゃなくても"
(黒い猫の歌)
"君は今日も明日も君のままでいていいんだよ
君がいれば僕に不可能なんか無い"
(怪盗)
自己肯定感が低いと、ひとりぼっちに感じやすいこともあると思います。
キラキラした青春とか、ドラマみたいなロマンチックな展開なんて無縁になりがちです(個人的見解)
そんなふうに、種を植えることさえできずに、うずくまって泣いている時間にも、自分が主人公になれる曲ってめちゃくちゃ貴重だと思いませんか。
たしかに、私の心に深く根付いた「自分のことが嫌い」という気持ちはそう簡単に消えるものではありません。
でも、そんな自分が唯一「back numberのことが好き」という自分は好きでいられるんですよね。
back numberという素晴らしいバンドのことを好きになれた自分がとても誇らしいです。
…気づいたら、back numberのおかげで芽が出ていますね。
だから、私もいつか、少しずつ自分を好きになれるように、"芝生の緑に寝転ぶようにそっと育てながら"、いつか花が咲いたら、それまでの"道のりと時間を花束に変えて"、大好きなback numberに渡せたらいいなぁ…なんて思いながら、今日も明日も大切な曲達を聴きます。