腹いせの償い③
電車が大阪に到着したので、地下鉄に乗り換える。適塾の最寄りの駅である淀屋橋で降り、地図を見ながら辺りを歩く。周辺はオフィス街で、高層ビルが軒を連ねている。緑は街路樹だけだ。サラリーマンと思しきひとたちが目に付く。夏の日差しに加え、鞄が重く、スーツの上着が邪魔だ。江戸時代だったら、召し抱えの際は黒紋付に袴だったのだろうか。或いは裃か。どちらも着たことがないので、今と昔のどちらがよいかわからない。そんなことを考えているうちに適塾に着いた。
周辺のビルに囲まれたこの一角だけが、昔のまま時が止まっているようだった。現在、幼稚園になっている建物を含め、ぐるりと周囲を歩いたが、一部が日陰でベンチが置かれており、弁当を食べたり、休憩している人がいた。持ち帰りに弁当店がいくつかあり、そこで買ったのかもしれない。食欲はなかったので、水筒の茶を飲み、中に入った。
受付で料金を払い、木製のロッカーに荷物を入れた。鞄の重さから解放されてほっとした。貸していただいた団扇を片手に塾の中を歩く。畳敷きで綺麗に清掃されている。すぐにここで寝泊まりできそうなくらいだ。文化財として、保存工事や耐震対策に施工されているためか、人の重さで畳がたわむこともない。いくつかの畳敷きの部屋を通り、中庭に面した居室を経路に従って進んだ。室内は天井が低いのだが、台所だけは2階がないのか、とても高く、涼やかだった。急な階段を上り、2階に上がるとヅーフ部屋と塾生のいた部屋があった。ヅーフ部屋は、当時貴重な蘭和辞典が置かれており、塾生たちは争うように辞典で字句を調べ、この部屋は灯りが消えることがなかったらしい。塾生の部屋は畳敷きの大部屋で、成績により畳の場所の良し悪しが決まっていたことを読んだ記憶がある。中央には1本の柱が立っているが、刀傷と思しき跡が残っている。この部屋でともに学び、生活し、時には議論を戦わせていたのだろう。
思えば今の自分に足りないのは、学ぶことへの執念なのかもしれない。ブラック企業に変に慣れてしまい、訳の分からない生活が身に付いてしまっている。人間は習慣の動物と言われている。刑務所での生活にだって慣れるのだろう。今いる環境が真っ当なものではないという認識のもと、もっと勉強に執着しよう。働いているのはあくまで自分だし、会社での無駄な時間も自分の時間の大部分だ。今の会社にいると、無駄な時間を重ね続けることになる。適塾の清浄な空気を感じながら、そんなことを思った。
次で最後です。