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適応障害になった話#1
わたしは、小学校講師3年目で適応障害になりました。
そんな私のお話。
転職
小学校講師になったのは3年前、派遣社員で働いているときに、免許もったいないなー。
あ、そういえば小学校で働くために大学に行って免許取ってたんだっけ…でも、教師に一生を捧げる覚悟はないしなんて言い訳もつけながらと志高く採用試験を受けている人には申し訳ないくらいの気持ちで、講師に転職。
地元で働くのはプライベートも何もなくなりそうだったので少し離れた市で働くことにした。
(講師とは、自治体に講師登録をして話が来れば、採用試験を受けていなくても、免許も持っていれば教師と全く同じ待遇で働けるのです。)
1年目
志低く転職したとはいえ、働く以上、手を抜くことはしたくない。
初めての講師にして担任として採用された。
初任の教師には初任者指導の教員がついて1年指導してもらうのだが、講師なので指導者なく、いきなり担任として現場に飛び込んでいくことになった。
普通なら不安で今にも逃げ出したい気持ちになるかもしれないが、私はラッキーと思っていた。
なぜなら私は、誰かに言われたり見られたりすることで不安と恐怖に陥るタイプだから…(そんな人が教師って…)
学年は、ベテラン教師・中堅教師・若手教師といった組み合わせで学年団が構成されていた。
教師として働くうえで、それぞれ大切にしたいこと思うことはあると思うが、
私は何よりもこの学年団こそが肝だと思っている。
どれだけ過酷な業務や対応があっても、学年団が同じ方向を向いて協力していれば、やり抜くことはできる。
実際、様々な問題が降りかかってきた。
正直、わがままで生意気で問題を起こす子どもに、「おいおいおい~。やめてくれ。これ以上」と思うことも、「ん?なにをいっている?」と思う人も少なからずいる。そんなときは、学年団に打ち明け一緒に共有することで笑い話になる。
3人の先生に支えられ、育てられて、
1つ2つと山を越えて1年終えることができた。
2年目
講師は、1年任期(会社でいうと契約社員のような立ち位置)なので、採用された理由、補填なのか産育休代理なのかなどによって毎年職場が変わることもある。2年目運よく同じ学校で講師で残ることができた。
2年目になると、職場環境や人間関係がある程度わかる分、余裕が生まれる。2年目も担任を任された。
何よりの肝である学年団は、
中堅教師2人に2年目の私の3人
学年自体は、荒れてもなく落ち着きすぎもしていない学年、ただ手がかかる子が多くいる学年ではあった。
1年目では起きなかったことが次々に起こる。
毎日、てんやわんわ。
授業をする、規律を教える。
当たり前の仕事である。
ここに、面白みを感じている人もいれば、私のように、毎日何が起こるかわからない。昨日とは違う何かが起こる。子どもに同じは存在しない。
そこに楽しみを持っている人もいる。
教師は面白い。ときづいた年だったかもしれない。
学年団は、いつも笑っていた。
放課後になれば3人集まって出来事の共有という名のお喋り。何かあったら、みんなで動く。
こんな感じで2年目も、あっという間に過ぎていった。
3年目
前項にも書いたように、講師というのは毎年契約が変わる。
3年目は転勤になり学校が変わった。
学校という組織は、管理職によって職場雰囲気が大きく異なる。
次の職場は、私にとって教師って楽しい。
それは違ったのか、と思うほどの出来事が起こる。