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1年で外食7回だった私が勇気を出して"ごめんね"と言った日
今日は絶対に怒らない
あなたは思ったことがあるだろうか。
子どもや同僚、後輩に、優しい人でありたいと。
私は1冊の育児本を手に取っては、呪文のように一人でつぶやいていたことがある。
でも数分後には...
あー、また怒っちゃったよ
なんで私、今日こんなにイライラしてるんだろう
本当は怒りたくないのに、子どもを怒って自己嫌悪。
次の日は怒らずにすんだ!でも、次の日は1回。そしてまた次の日は2回3回...
私は人生で一番怒っていたかもしれない。
でも、人生で一番泣いた年でもある。
それは3年前の2022年。
まだまだコロナが流行していた年だ。
*-*-*-*-*
この年はいろいろな負担がストレスになっていた。
息子が幼稚園へ入園
・慣れない園でのストレスから家でも暴れていた
・指定の園の服を着たがらず、ママと格闘
・園にも行きたがらず、朝は格闘
・偏食や便秘が続き、体調を崩しやすくなった
・トイレト(おむつ外れ)が進まない
娘のイヤイヤ期
・なんでもやりたがるため、ドキドキしながら見守る
・上手くいかないと大泣き。受けとめ続ける
私の体調不良など
・毎日頭痛。我慢しても月7回は薬を飲み、酷すぎて嘔吐することも
・レントゲン、CT、MRIなどの検査を受けメンタルズタズタ
・24時間子どもと一緒
コロナが流行
・外出を控え、外食を数えたら1年に計7回。夫の仕事での外食でさえ羨ましかった
・人と会うのも気を遣い、ほとんど会わない
厄年の運命だと思っていた。いいことは、『全国旅行支援』を使って、旅行はよく行った。コロナにもならずにすんだ。他人と比べて、これくらいは耐えなければならないと思っていた。
*-*-*-*-*
ある日の朝、いつものように息子の園バスが来るためバタバタと私が荷物を持って息子と外に出た。ちょうどきたバスに、息子を私の手から先生の手へ引き渡して乗せた。
後ろを振り向くと、2歳の娘が玄関先の階段にさしかかり手を伸ばした。でも、差し伸ばした私の腕には、息子の荷物がかかったままだった。私は娘のそばをパッと離れた。バスの時間が遅れているから、早く荷物を渡さないといけないと思ったからだ。
娘は尻餅をついて転び、娘が持っていた荷物が2段下の地面に吹っ飛んだ。
娘は大泣き。私は息子の荷物を先生に渡し、急いで娘のところに戻った。娘に怪我はない。でも、ホッとする間もなく、後ろからバスの運転士さんは言った。
「危ないよ!お母さん!今のはお母さんが悪いわ〜。今のはお母さんが悪い!今のはお母さんが悪い!今のはお母さん悪い!...」
何度言われたかわからない。娘の気持ちを受けとめてくださった。でも、私の心は苦しかった。ぎゅーっとなって、息を止めるくらい溢れ出る悲しみを堪えながら、娘を抱きしめていた。
もちろん私が悪い。手を差し伸べていてそれをやめ娘が転んだ。大怪我にならなくて良かった。もしかしたら頭から落ちていたかもしれない。そう思うとゾッとする。私も「ママがいけなかったね。ごめんね」と娘に何度も謝った。
でも、私はその後も、脳裏から離れなかった。
"お母さんが悪い"
何度も言われるうちに、私のしている育児に対して全否定されているように感じてしまったからだ。
きっと、子育てを誰かに否定されたこともないし、「ダメ」とか「悪い」って言葉は、普段私は使っておらず、受け入れづらかったのもある。ただ娘の気持ちを受けとめてくださっていただけなのに、言われるたびに心が苦しくなって、バスを見送ったあと、私は泣いた。
頭の中から消えない"ママが悪かった"。でも、事実。自分がいけなかった。自然と口から自分でも受けとめられるように、泣きながら何度も唱えていた。涙はもっと止まらなくなった。
でもふと気づいた。
私は子どもに「ママが悪かった」と思って言ったことがあるだろうかと。息子や娘にあれもイヤこれもイヤと言われ、どうすれば自分の思いが伝わるかばかり考えて押し付けていたかもしれない。
家を出ず、人と会わず、体調面からのストレスで我慢や息抜きができない日が続き、子どもにストレスをぶつけていなかっただろうかと。
「ごめんね」と口にしたとき、子どもたちに"負けてはいけない"という頑固さから、今まで言えていなかったことに気づいた。
普段から「ごめんね」より「ありがとう」を言うようにしている。高校生のときの先生から、「ありがとう」と言われる方がうれしいと教えていただいたからだ。でも、それが「ありがとう」でもなく、子どもたちに対して我が強くなっていただけだったことに気づいた。「ありがとう」さえ、言えていなかったかもしれない。
「ありがとう」って相手に感謝したときに出る。でも、自分がいけなかったと思ったときは、「ごめんね」という。当たり前なんだけど、自分のいけないことを認めることも大切なことを知った。
私はその日から、子どもたちにも「ごめんね」と言えるようになった。息子にも私の言葉が移ったのか、「ごめんね」と言われるようになった。お母さんだから、子どもだからではない。年齢や、経験の数なんか関係ない。心の距離が近づいた気がした。
*-*-*-*-*
私は夫に朝の話はLINEで話していた。優しく受けとめてもらった。でも、何かが苦しくて、帰ってきた夫と夕食を食べながら、溢れる気持ちが言葉となって出た。
「ちょっと、しんどい」
私は、涙を浮かべながら伝えていた。
勇気を出して言ったのかもしれない。
横に座っていた夫は、
「そうよね」
一言だけ言った。
その言葉だけで、十分だった。
*-*-*-*-*
久々に夫も一緒に家でのんびりしていた日曜日。みんなでリビングで過ごした。私が椅子に座って日記を書いていると、夫は家事育児をいつも以上に自分から動いてしてくれた。子どもたちはいつものように賑やかに遊んでいた。何かあればパパを求めるようになった。
一緒の空間にいながら一人時間。何も考えず没頭できた数十分。たった数十分がすごく久しぶりで、うれしかった。
その後もなんだか心軽やかに、「今日は怒らない」なんて思わなくても、笑顔で過ごせた。私にはやっぱり息抜きが必要なんだとわかった。
*-*-*-*-*
育児の中での失敗や心の揺れは、自分を責めるだけでなく、親として成長する大切な機会になる。「ごめんね」と素直に伝えることで、親子の心がより近づき、優しい絆が生まれることを感じた。息抜きの時間を持つことで、笑顔もとり戻せた。
あなたもきっと誰かに対して優しくなれる。
・感謝だけでなく「ごめんね」と非を認めること
・周囲に頼りながら息抜きの時間を確保すること
・自分をいたわりながら、笑顔で向き合える時間を増やすこと
私はあの日から意識して過ごすようになった。
以前までは「ありがとう」ばかり言っていた。でも今「ごめんね」が多いのは、これがきっかけだ。
親も子どもも、失敗や「ごめんね」を通して一緒に成長していける。
勇気を出して「ごめんね」が言えたことで私は大切なことに気づけた。
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ここまでお読みいただき、ありがとうございます。
子育ては正しいとか正しくないとかはないですが、自分の行動に反省して自己嫌悪になることは多いです。でも、自己嫌悪になるのは、一瞬、心の余裕ができたときにだけです。なかなか子どもがいる前で認める余裕はありません。しかし、息抜きの時間を持つことで、相手を認め、自分を認めることができます。外食1回でも、たった5分でも。私は3分でも、一人でお風呂に入れたことが、うれしかったこともありました。
やっぱり怒ってばかりのママより、優しいママの方がいい...。子どもにとっても、自分にとってもうれしい母でいることが、他者へ寄り添える心をもつことにも、私は繋がっている気がします。