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"あなたのために"は誰のため?

あなたがしていることは、本当に相手が求めていることですか。

*-*-*-*-*

私の息子は、食べ物の好き嫌いが多い。

なんで食べてくれないんだろう
一生懸命作ったのに
食べてほしいな

子どもをもつ親であれば、1度は思ったことがあるのではないだろうか。

私の息子は、赤ちゃんのときから、離乳食を食べさせると、白いご飯は「ぶぶぶぶぶーっ」と吐き飛ばしていた。

「ごめん!大丈夫!?」

一緒にランチをしていた、息子の前に座っていた友だちの顔にも飛んだ。

席を変えて、また食べさせる。
なんとか全部食べてくれた。


家で1人で食べさせるときも、息子はご飯を嫌がった。
息子を抱っこしたまま、"もう少し"と思いながら、スプーンでご飯を口元に運ぶ。
でも、手ではたかれ、スプーンが飛び、スプーンに入っていたご飯がテーブルのあちこちに散らばった。
それでもなんとか食べてほしいと願いながら口に運ぶと、またいつものように「ぶぶぶぶぶーーーっ」と。
テーブルを超えて3メートル向こうの冷蔵庫の前まで飛んだ。

もうやめた...

私はただ自分の気持ちを押し付けている。

嫌がるのに無理をして食べさせてはいけない。
無理に食べさせたら、食べることが嫌になる。

まだお皿には、ご飯が半分以上残っていたが、食べさせるのをやめた。

椅子を引くと、床にはどろっとしたご飯があちこち落ちていた。
食べさせるのに必死で気づかなかった。

あぁ、せっかく作ったのに...

私はもともとご飯を作るのが苦手だった。
だいたいの分量がわからなかった。
だから、保健所で教わったものや本を見ながら、離乳食を作っていた。

ハカリの上にご飯を乗せて、お米に対して水は何ccか電卓をたたきながら計算した。
野菜も、一度切って何gか計り、蒸したあと、こしたり、潰したり、粒の大きさや硬さを調節した。
常に、分量は月齢に合わせて。
栄養も考え、1つ1つの素材の味を生かしたメニューにした。

それらのことプラス、"これなら食べられるかな"と息子の様子をみながら作っていた。

作り置きも、栄養価が下がると思いせず、息子が寝ている間はほとんど台所に立っていた。

そのため、食べてもらえなかったとき、すごく、すごく悲しかった...
一瞬でその時間と労力が、喜ばれることなく奪われることが、とても辛かった。

落ちているご飯をみると、時間をかけて作った自分の努力を、誰からも褒められることなく捨てられた気持ちになった。

でも、"せっかく作ったのに"は、自己満でしかない。
誰にも見せられない
悔しくて、悲しい涙が出た。

それでも息子は泣いている。
自分が泣いている場合ではない。
息子はイヤイヤご飯を食べて、くずりが止まらなくなっていた。
眠くもなっているのだろう。
落ちたご飯を片付けるのはあとにして、息子を寝かせた。

息子をベビーベッドに置いたあと、
また落ちご飯やお皿に残ったご飯を見る。
キッチンの流しの前に立ち、私は泣きながら残っていたご飯を食べた。

こんな日は、1度や2度だけではなかった。
でも、作らないわけにはいかない。
また夕食が来るため、台所に立ち続けた。


*-*-*-*-*


先月、朝早く家のインターフォンが鳴った。
2回目もすぐに鳴った。
私はボタンを押し、「はーい!」と言いながらモニター画面を見ると、おばあさんの頭だけが見えていた。
返事はない。
お義母さんかな?でも、2回鳴らすのは珍しいなと思いながら、玄関を出た。
知らない人だった。
白髪混じりの、ふっくら柔らかなかわいいおばあさんが立っていた。
町内会のなにかかな?と思っていると、

「すみません、友だちと待ち合わせしてて、来るまでお宅の玄関先の階段で待たせてもらってもいいですか」

と言われた。
右手を見ると、杖をついていて、足か腰が悪いんだなと思った。
「全然いいですよ!」
私はすぐに返事を返した。

その日は少し肌寒くかったため、
「家の中で待たれますか」
と、私は玄関の扉を全開にした。
でも、おばあさんは
「いいよ!いいよ!」
と断られた。

しばらくして、私は2階の窓から下を見下ろすと、まだおばあさんは座っていた。
きっとお尻も冷たいだろうな。
何かできないだろうか。
と考え、紙袋とふわふわの膝掛けを持って行った。
紙袋は、お尻の下に敷いて、膝掛けを使い終わったら、紙袋に入れてそのまま玄関に置いておいてもらうためだった。

でも、おばあさんは、また
「いいのよ!いいのよ!たくさん着てきたから」と断られた。

あ、やり過ぎか。
おばあさんは、
「これからも待つときはここに座らせてもらってもいいですか」
とも言われていた。
あまり気を遣い過ぎても、おばあさんがおりづらくなる。
おばあさんのためと思いながら、全然ためになっていない。
私はそれ以上、声をかけるのをやめた。

そしてしばらくして、また2階の窓から下を見ると、おばあさんはいなくなっていた。

いつまた我が家の玄関におばあさんが座っているのかはわからない。でも、その場所があるだけでいいんだよなと思うようになった。

*-*-*-*-*


時々私は、相手のために何かできないかと必死になることがある。
でも、相手が求めていないことを、私がしていることだってたくさんある気がする。

相手のために
誰かのために
あなたのために
大切な人のために...

相手の心を感じとるのは、ずっと一緒にいる人であってもわからないことだってある。
私の場合、つい強引になってしまっていたり、相手のためだと勘違いしてしまっていたりすることが多いのではないのかなと思ったり…。

息子の場合は、"せっかく作ったのに"と思ってしまった。だからといって息子に「食べなさい」と強制はしていないつもりだったが、行動だけみれば強制させているのと同じだった。

おばあさんの場合も、こちらの気持ちを受けて、逆に気を遣わせてしまっていたと思う。
膝掛けを渡して、「ありがとう」と受け取っていたのなら、そんなの優しさではなかったと思う。


あなたのためにって、本当にあなたのためなのか。私はいつもぐるぐる考える。
決して、自分の気持ちを押し付けることが、相手のためにはならないと思っているいれど、そうなってしまっていないかと。

植物だって、水をあげ過ぎると枯れてしまう。
金魚だって、餌をあげ過ぎると水が汚れて死んでしまう。
人も同じで、こちらがやり過ぎてしまうと、相手は辛くなる。

悩んでいる人がいたら、ついアドバイスしがちだが、話を聴いてもらいたいだけの人もいる。
気持ちを楽にしようと言葉をかけてくれても、自分は共感を求めていただけだったってこともある。
本当の気持ちを言葉にできない人
自分自身どうしてほしいかわからない人
伝えても、うまく伝わらないことだってある。

そっとしておくことも含めて、何を求め、何をするとその人にとっての嬉しい力になるのか、私はいつも悩む。

相手が求めていることを、聞き取ったり感じ取ったりしながら、
自分が感じたことと相手の求めているであろうことをバランスよく形にして、言葉や行動で届けられたらいいなと思っている。
自分の"やりたい"を押しつけるのは、相手のためにならない。


*-*-*-*-*-*-*-*-*-*



私は、最近"あなたのために"という言葉を使うのをためらいます。
"あなたのために"は、相手がどう感じるかによるからです。
でも、相手が感じたことを言葉にしてくれる方たちもいます。
本当にありがたいことだなと、私はとてもうれしい気持ちになります。

ここまでお読みいただき、ありがとうございました。

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