負け犬と詩
詩は敗北の後にあるものだと思う。何に対してかと言えば、すべて存在である。実存への敗北者が詩を書く。
私もたった今負けたばかりだ。
最近ものすごく乱暴な気持ちですべて象徴になればいいのにと思う、つまり、みんな死ねばいいと思う。ことばのいちばんの美点はその中立性にある。誰にも肩入れしないあなたやきみは美しい、生まれついて象徴であるから描写されることで何も損なうことなく、いつも同じ顔で疲れた私を慰めてくれる。その手は拳を握ることなくひたすら海を掬い、その口はことばを紡ぐことなく桃色の舌だけを気まぐれにのぞかせ、その伸びやかな脚はどこへも駆け出さない。モチーフは死なない。モチーフは死なないから、殺さなくて済む。
死なないであなた死なないで永遠に生きて無理なら今すぐ生きるのをやめて。
実体が消えてみんなみんなエモくなってく。詩の世界に逃げたらそこでも私の嫌いなエモが始まる。逃げ場がない。そんなにエモいのがいいなら今すぐ死んだらいいのにって声がする。エモいなんて全部死姦でしかない。昔死んだ犬を揺すり続けて血を回して蘇生させる実験があったけど、過去について思いを馳せる行為は全てこれと等しく醜いと思う。生きていることは偉い。生きていることはそれだけ特権的だ。死んだやつは弱いから死んだ。負け犬は吠えることすらできない。
この猿のかなしみ、わかる?
この世界は常に客体で、その時点では私の叙情は完璧だった。完璧で正しく清潔だった。愛を知らなければ愛は詩でいられた。セックスも運転も料理も外国も詩でいられた、のに。生きるたびに詩が死ぬ。主体の私はそれを見ていることしかできない。みすみす死んでいくのに。目の前で詩が犯されている。恍惚とした眼差しに怯む。あんただけのあたしなんてごめんよ。嘔吐する、実存に嘔吐する。詩は本質として娼婦なのに。だから安心して好きになれた、のに。
詩は生活に勝てない。
今死んでくれたら永遠に愛せるのにという人が、風邪気味だというので薬をあげた。私はこの人が死んだあと飲む紅茶のことを考える。一人きりの窓辺を思い浮かべていい気分になる。そして、はやく治ればいいと思う。鼻水出たまま寝るの辛いもんね。
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