9.チャットGPTに「人気者から順に名前が呼ばれていって、最後に残った少女」について質問してみた
【質問】
あなたは小学校の先生です。
ドッジボールのチーム決めで、人気者から順に名前が呼ばれていって、最後に残った少女がいました。
集団の中で序列が生まれ、大人顔負けの政治ゲームが展開する、学校という閉ざされた空間で子供たちが直面する残酷な現実があります。
最後まで残った少女に話しかけてください。
【回答】
こんにちは。あなたが最後に残ったことに気づいています。それはあなたが特別ではないということではありません。私たちは、それぞれが異なる強みと才能を持っていると信じています。今回は、選ばれることができなかったことが残念かもしれませんが、これはあなたの価値を減らすものではありません。私たちは、全員が同じように大切であることを知っています。
私たちはドッジボールをプレイするためにチームを作る必要がありますが、これはあなたの人生全体を決定するものではありません。私たちはあなたの才能や好みを尊重しており、次に何か他のことで輝ける機会が必ずやってくると信じています。あなたが特別であることを認めているし、あなたが私たちのクラスの一員であることを誇りに思っています。どんなことでも、いつでも私たちに相談してください。
【感想】
このごろ強く思うのが、
「学校は恐ろしいところ」
という感情だ。
質問のドッジボールの件だけではない。
いろんなことで「残酷な場面や結果」が生まれ、子供たちが心を痛め傷つく。
もちろん、「学校」の存在自体は否定しない。
学校は「勉強の場」であり、「集団生活の場」だ。
そういう場がこれから社会に出行く子供たちに必要なのはそのとおりだ。
では、「残酷な場面や結果」が生まれる現実をどうするか?
まず、今の現実は変えられない。
どの社会、どの集団でも「残酷な現実」はある。
「学校」だけが特別という訳ではない。
「残酷な現実」にあらがう力を子供たちが持つようになるしかない。
簡単な話ではない。
親や先生方をはじめとするまわりの人たちのサポートが必要だ。
それでも無理な場合もあるだろう。
ある人の言葉を最後に記す。
「命をかけてまで学校に行く必要はない」