アルビレックス新潟に救われた話
僕は悩んでいた。大学卒業後、新卒で入った会社での仕事について非常に悩んでいた。思えばありがちな悩みだったと思う。新卒の会社員全員がぶつかるような普遍的な憂鬱だった。
ある日、今は無きホンマ健康ランドで風呂に入り、ロビーのソファーでくつろいでいた日のことだ。
アルビレックス新潟のユニフォームを着たオレンジの一団が汗だくかつ満足そうな表情でエントランスに入ってきた。
僕は生まれも育ちも新潟県なのでアルビレックス新潟というサッカーチームがあってデンカビッグスワンというスタジアムで試合を行なっていることは知っていた。情報ソースは何気なく流れてくる県内ニュースくらいで当時はJ1からJ2に降格してしまったこと、J2でも苦戦しておりJ3降格もちらついていること、などという漠然とした情報しか持っていなかった。
ホンマ健康ランドに入ってきたみなさんの表情が非常に晴れやかだったことから「ああ、今日は勝ったのかな」なんて思い、他人事ながらスマホで試合結果を見てみるとなるほど、勝利を収めていた。
そして得点者に「本間至恩」という名前があった。その珍しい名前が気になり調べてみると当時まだ18歳(おぼろげ)だった。
「高校生が試合に出て結果を出したんだ!しかもアルビの生え抜きの選手ならすごく期待されてるんだろうなー」と思い、幸せそうなサポーターの皆さんが館内に消えていくのを見送った。
僕がアルビに救われるのは実にここから数年後の話。
ホンマ健康ランドでサポーターを見かけたからと言って特段興味を持つこともなく、日々変わらず悩んでいた頃、世間はコロナ第1波で震撼する2020年まで話は飛ぶ。
コロナ禍で部屋から出ることも絶賛自粛中のとある休日、ふと点けたテレビでアルビレックス新潟の試合が放送されていた。
特段やることもなく、何となく見始めたその試合だったが、それがとても印象に残ってしまった。
試合は終始アルビがボールを握り、相手に何もさせない、見ていて楽しいサッカーが展開されていた。そこまで興味を持っていないまでも、当然県民としてはアルビを自然と応援し目で追う。ワンタッチ、ワンタッチが連続する鋭いパスワークで相手を翻弄する姿はとても見応えがあった。
その時、左WGにいたのがあの日名前を知った本間至恩選手だった。そしてこの試合で特に素人ながら目に止まって名前を覚えた選手があと2人いた。
鄭大世選手と高木善朗選手だ。軽く調べたら高木選手は同い年であり、とても親近感が湧いた。
この試合については対戦相手はおろか勝敗すら覚えていない。サッカーなんてW杯や代表の試合があれば何となくみるくらいの素人が、ただそのパスワークの華麗さを楽しんだ体験だった。
この日からアルビの試合結果がふと気になって調べたり、今の順位を確認したりするくらいに興味が出てきた。しかし、積極的に関わるまで火はついておらず、2020年シーズンが終わっていった。
2021年の年始、ツイッターを眺めていたら「本間至恩」がトレンドに入っていた。「ああ、期待のアルビの選手じゃん。」と思って何気なくニュースを見るとどうやら他チームに引き抜かれることが濃厚とのこと。
そんなに知っているわけではないけれど、胸が痛んだ。僕自身が悲しかったというより、あの日ホンマ健康ランドで満面の笑顔だったあのサポーターの皆さんのような方々が悲しんでいるんだと思うとやりきれなかった。
結果的に本間至恩選手は新潟で契約更新。僕もホッと胸を撫で下ろした。
2021年シーズンからより結果を気にするようになり、ハイライトも少しずつ見るようになった。アルベルト監督が仕込んだポゼッションサッカーが猛威を震い、開幕から無敗街道を突っ走っていた時は僕も気分が明るくなった。しかしその年の後半、思うように勝てる試合が少なくなり、また少しずつ熱が冷めていくのを感じていた。オフシーズンの選手の出入りにはあまり関心を持たず、試合のない期間は「アルビのない時期」として特に早く見たいなんて思うこともなく過ごしていた。
新潟県民らしく雪に耐え、また新たなシーズンが始まった。
2022年シーズンは前年に比べ、開幕からの勢いがなく、4戦勝ちなしと厳しいスタートだった。
春は仕事も忙しく、あまりアルビのことはまだあまり頭になかった。付いて離れてを繰り返していた僕とアルビの関係に進展があったのはゴールデンウィークの頃だった。
開幕すぐこそ波に乗れなかったものの、そこから快進撃を見せているとの知らせが届き、またグンと熱を上げて結果やハイライトを追い始めた。そして明らかな転機となったのは、地上波で放送されたホーム秋田戦だった。
まだDAZNにも契約していない僕にとって地上波でフルマッチが見られる機会は貴重だったのでこの試合は見ようと決めてテレビの前にスタンバイした。前半に松田詠太郎のゴールでリードするも、その後は両者に得点は生まれずハラハラした展開に。
後半アディショナルタイム、本間至恩のアシストからシマブクカズヨシのゴール!それから程なくそのシマブクの猛烈なドリブルから伊藤涼太郎の鮮やかなループシュートがゴールに吸い込まれた。
僕の中でアルビの存在が大きくなった瞬間だった。
試合は3-0の完勝。聞けばアウェイ秋田戦は壮絶なピッチで悔しすぎる敗戦を喫したとのことだったのでホームでは最高のリベンジができたと僕も胸がすく思いだった。
そしてこの辺りのタイミングで僕は決心する。
「DAZNに入ろう!」
当時サブスクにいくつか入っており、あまり恩恵を得られていないサービスを整理し、ついにDAZNと契約を果たす。
毎試合リアルタイムで視聴し、シーズン中の見ていなかった期間のハイライトも履修し、選手も少しずつ覚えていった。
そして迎えた第28節・Hファジアーノ岡山戦。
僕はビッグスワンにいた。当時大学生で時間を持て余していた弟を誘って本拠地デビューまで果たした。
試合は2-3と一時リードする展開から逆転負けてしまったものの、初めて生で見る試合はビッグスワンの雰囲気込みでとても楽しかった。
初めて回した1000円のガラポンくじは白賞の早川史哉のタオルだった。今でも試合を見に行く時は他のグッズと一緒に連れていっている。
そんなこんなで順調にアルビ沼に浸かっていった僕はアウェイ栃木SC戦で声出し応援が解禁され、そのinsideが素晴らしかったと聞いてモバアルにも入った。
当時の彼女とH水戸ホーリーホック戦を見に行き、勝ったことに胸を撫で下ろしたものの同い年で応援していた高木善朗が怪我で退場したことにハラハラしたりもした。
ホームの試合参戦は何度か経験していたが、僕がアルビで特に感動したのはDAZNで観戦していたH FC琉球戦だ。高木善朗の2発でリードし危なげないゲームを展開していた試合終了間際、アレクサンドレ・ゲデスが決定的となる追加点を挙げた。
僕はこのゴールで涙した。
なかなかチームにフィットしきれず、出番の少なかったこの男がゴールを決め、スタジアムを吠えたところで初めてスポーツを見て泣いてしまった。
そして運命の10月8日、H仙台戦。
試合については周知の事実なので割愛する。
J1昇格が決まった。
最初のJ1昇格当時は小学生で興味のカケラもなかったながら、一部のクラスメイトは興奮して話していた記憶がぼんやりとある。
そして2022年シーズン、再昇格を果たした舞台に僕は現地で立ち会った。
伊藤涼太郎の思いのこもった2ゴールも、ゲデスのダメおしゴールもEスタンドからばっちりと見届け、アルビレックス新潟の歴史の1つに立ち会えたことに感無量だった。この頃には弟もそれなりにどっぷりと浸かっていて、オレンジガーデンで勝った「アイシテルニイガタ」Tシャツを着て応援していた。
最終節前に優勝が決まったものの、ここまで楽しませてもらったアルビの最後の試合も見に行かねばと、最終節H町田ゼルビア戦にも馳せ参じた。
雨の中のゲームだったが、最終的に勝利を収め、最高の気分でセレモニーまで見届けることかできた。
新潟超最高!
今まで常に身近にありながら大した興味を持っていなかったアルビレックス新潟にここまでのめり込む日が来るとは思わなかった。サッカーをやっていた経験もなければ幼き頃ビッグスワンに連れてきてもらった思い出もなかった僕がアルビレックスに勇気をもらい、日々の活力となっていた。
X(Twitter)でサポーターの方々のツイートを見て、喜びも悔しさも共有できた気がしていた。
まさか大人になってからこんなに新しいことにハマれるとも思っていなかった。世界が一つ広がったような気がした。
アルビレックス新潟に救われた。
そんな感じで僕はにわかながら1人のサポーターとしてJ2優勝からJ1昇格という栄光の軌跡を目の当たりにすることができた。
J1昇格後は他のサポーターの皆さんと大して変わらないので振り返りはこのあたりまでにしたい。
僕はこれからも新潟で生まれ育った人間の1人として地元のクラブ、アルビレックス新潟を応援していきたい。
最後までお読みいただいた方々、ありがとうございました。
スタジアムのどこにでも転がっているひとりのサポーターの思い出話でした。
これを書いている今はルヴァンカップ準決勝、川崎フロンターレ戦の直前です。タイトル、獲りましょう。
アイシテルニイガタ!!!
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?