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くりぃむしちゅーのANNのPodcastに誘われた深夜ラジオの深淵は東京ドームに繋がっていた

iPodを手に入れた中学生の僕は当時Podcastで配信されていた「くりぃむしちゅーのオールナイトニッポン」に出会った話を以前の記事で書いた。

そこでは30分ほどのオープニングトークが切り取られていたが、その密度に圧倒されていた。

「いや、参ったね」

という有田哲平のぼやきから繰り広げられる2人のトークはテレビ番組では決して触れることのない圧倒的な情報量とくだらなさ、それでいて洗練された笑いに中学生の僕は圧倒された。
ラジオというものにそれまで触れてこなかった僕にとって大きな出会いであり、一つの衝撃だった。

生放送を聴くという発想はまだなかった。Podcastで十分に満足していたからだ。
程なくして、これに加えて「トータルテンボスのぬきさしならナイト」のPodcastも発見し、平行して聴いていた。
ちょっとずつだが確実にラジオというものの面白さに取り憑かれていった。
もともとお笑いが好きだった僕に流れ込んできた新たなカルチャーの火は日に日に大きくなっていった。

そして僕が高校生の時、運命の番組がスタートした。
それが「オードリーのオールナイトニッポン」だった。

おもしろ荘で鮮烈デビューを飾り、M-1でも敗者復活から準優勝と瞬く間に時の人に駆け上がっていたオードリーの冠ラジオがスタートした。
ラジオ番組はパーソナリティとリスナーの結びつきが強く、積み重ねが歴史を作っていく媒体だと思っているので、長く続いている番組を途中から聴き始めるということは、楽しんでいながらもどこか古参リスナーと壁を感じるようなムズムズ感を感じていた。

ここにきて期待の新番組が始まる。しかも今ノリに乗っているオードリーがパーソナリティーだ。これは最古参として乗っていくしかない!
高校生でリアルタイムに深夜ラジオを聴くようになった僕は飛びついた。

そして、時は少し進み2011年。東日本大震災で日本に未曾有の被害が及んだ春、僕は浪人を決定していた。
滑り止めを蹴り、もう1年トライして元々の第一志望を目指すという人生でも割と大きな決断をした頃だった。
スマホ第一波が来始めていたこの年に僕はiPod touchを手に入れ、ガラケーとの2台持ちという体制に変わった。
今までのiPodでPodcastでPCでダウンロードして同期するという形でなければ新たなエピソードを聞くことができなかったが、iPod touchはデバイスの操作だけで常に最新回がダウンロードできる。そしてこの頃からRadikoがサービスを開始し、アプリで高音質なラジオを聞くことができるという夢のような環境が揃ってきた。

その2011年にPodcastを通して出会ったのがTBSラジオ「JUNK」だった。
それまでに存在は知っていたもののなんとなく距離があったこのJUNKを一通り聴いた中で僕がハマったのは月曜と金曜。今も番組は健在の「伊集院光 深夜の馬鹿力」と「バナナマンのバナナムーンゴールド」の2番組だった。
深夜の馬鹿力は当時震災の影響で伊集院の奥様が帰省されていたことから「帰っても暇だから」という名目で若手芸人との撮り下ろし音源が週3〜4本アップされていた。これに僕はものすごくハマってしまった。
オテンキのメンバーや河野かずおくんとパーソナリティの伊集院光でリスナーからのメールをフランクに読むというものが一本15分ほどで毎週たっぷり聴ける。
受験勉強しかやることがなかった僕の日常に染み渡る大きな楽しみとなった。

一方でバナナムーンゴールドの方は当時2時間の生放送の後、アフタートークという形でバナナマンの2人と作家のオークラ氏、時にはADなどのスタッフも巻き込んだ時に本放送よりも聞き応えのある音源がアップされていた。
2時間の生放送の後平気で90分くらい喋るそれは設楽さんがノンストップを始める前だからこそできたことだろう。

そんなこんなでオールナイトニッポン(主にオードリー、福山雅治、miwa等)とJUNK(主に月曜、火曜、金曜)のガチ両刀で受験勉強を乗り越えた僕は翌年、晴れて第一志望の大学に入学することになる。

大学では新しく始めたことがあったり単純に勉強が忙しかったりし、ラジオについては少し聞く頻度が減っていたように思う。
それでも東京ポッド許可局たまむすびなどTBSラジオの新番組を聴き始めたり、自分の中ではハマりすぎない適正な距離感でラジオと付き合っていた。(夏休みなどにはJUNK全曜日リアタイしたりしていたが)

ラジオは生活の一部となって数年が経ち、大学生活も後半に差し掛かり、ふと今まで投稿をしたことがないことに気づいた。
このまま社会人になったらネタを考えたりすことはないだろうと思い、1ヶ月集中してネタを考えて投稿してみた。あまり労力をかけて読まれないと消耗してしまうため、大喜利形式でとにかく読まれる数の多いコーナーに狙いを絞った。
それが深夜の馬鹿力の「勝ち抜きカルタ合戦」のコーナーだった。
毎週お題となるカルタのタイトルとあ行、か行などの行が指定され、それに沿ってネタを投稿するコーナーだ。
ここに僕は1つのお題に対して20通ほど散弾銃形式でネタを投稿した。
ネタを考えるのは難しい。長い間コンスタントにハイクオリティのネタを投稿し続ける職人の凄さが身に染みてわかった。

そしてその日、深夜ラジオリアタイ中特有の睡魔と戦いながら深夜の馬鹿力を聴いていると、件のコーナーが始まった。僕は自分の投稿関係なしにこのコーナーが好きだったため、楽しみにベッドで聴いていた。

唐突にその瞬間は来た。
伊集院光の声で聞き覚えのある間抜けなラジオネームが発せられた。

時が止まる。

大学の講義室でノートの端を使って書き溜めたネタの一つ。

特に渾身の力作というわけでもなかった自分の中では65点くらいのネタが電波に乗って日本中に届けられてしまった。

眠気混じりだった脳が完全に覚醒し、酸素を求めている。脈拍が上がって全身が痺れる。

ちょっと大袈裟かもしれないが、その瞬間は本当にそんな感じだった。

1ヶ月限定でネタ投稿を行い、その瞬間は実はその後もう一度訪れた。
僕の家には2枚のノベルティーがある。これは一生の宝物になるだろう。

こうして、ラジオ人生にまたひとつ忘れられない思い出が刻まれた。

そんな風にしてラジオと付き合いながら時は過ぎ、あっという間に卒業、社会人になっていく。

社会人になってからの方が救いを求めてラジオを聴く頻度が上がっていたかもしれない。会社が辛過ぎてTOKYO FMのSCHOOL OF LOCK!なんか聴いちゃって10代の眩しい悩みに羨ましさを感じつつ戻れない圧倒的な青春を思い涙する夜もあった。

そして大学時代から一時期離れてしまっていたオードリーのANNもここでまた日常ルーティーンに復帰する。少しのブランクがあっても変わらずにそこにいてくれる安心感。やはり最高におもしろいし、オードリーが楽しそうにしているのを聴くだけで幸せだった。

そんなオードリーのANNが10周年を迎える2019年、武道館でのイベント開催が発表された。
これは行きたい。でもきっとすごい倍率だろう。行けるかどうかわからないけど応募してみようと思った。

先行、第1〜第3次全てハズレ。こんなもんか。やっぱり人気はえぐい。
そうして諦めようと思った矢先、急遽解放されたバックステージ席(ステージを後ろから眺める席)が当たった。

僕は悩んだ。中途半端な席で見ても苦しいだけでは?
それに地方に住んでる僕からしたら交通費や宿泊費もバカにならない。
当たったもののリセールにも出せるし、今回は見送ろうかとも思った。

いや、その会場に居合わせて目撃することが重要なんじゃないか?

僕は決断した。新幹線とカプセルホテルを予約し、伝説の証人になろうと。
武道館で好きなラジオのイベントが行われる機会なんて今後もうないかもしれない。後ろ姿だけでもその勇姿を目に刻みつけに行こう。

そう思って人生初の武道館に繰り出した。イベントの詳細は割愛。

結果的に言えば行って大正解だった。普段それぞれの環境で聴いていて決して交わることないラジオリスナーがパンパンに詰まった異常空間の一員になれたのだ。初めて会うのに旧知の仲みたいな気持ち悪い一体感と究極の内輪ウケを堪能できた。
そして「またみんなでトゥースしようや」と心に約束し大満足で大都会東京を後にしたのだった。
(イベントでゲストだったビトたけしさんが後ろを振り向いてバックステージの観客に手を振ってくれた一瞬で僕は大好きになった。)


そして時は流れ、2024年2月18日。
僕は東京ドームにいた。幸運にもオードリーのANN東京ドーム公演のチケットが当選し、武道館ライブの数倍の規模で開催されたその異常なお祭りの一部になることができた。

武道館ライブの時は少しのブランクを抱える期間があったりして、少しの申し訳なさを感じていたことから、武道館〜東京ドームの5年間はほぼ全ての放送回をしっかり聴いて参加することができた。

ものすごいエネルギーが渦巻く空間だった。若林は「燃え尽き症候群」にならないようにいろんな方から事前にアドバイスを聞いてライブに臨んだらしい。
僕はその後、しっかり燃え尽きてしまっていた。
しばらくは他のラジオを聞こうとするもあの熱量とのギャップを感じてしまって、途中で中断したりしてしまった。

今はまた立ち直り、日々楽しくいろんな番組を聴いている。
毎週欠かさない番組もあれば、気づいた時にふと聴く番組もある。
かつて完璧主義だった僕は全部聞いていないとリスナーと言えないと思っていたが、今はそんな考えは無くなった。

時間は無限ではないのだから、聴きたい時に聴けばいい。
そんな風にある種割り切って付き合いを続けている。

現在はANNは1部よりも0(2部)の方が聞いている番組が多い。
マヂラブ、佐久間さん、三四郎はいつ聴いたって最高に楽しい。

Podcastもさまざま聴いているが、最近のお気に入りは「マユリカのうなげろりん」だ。幼馴染の2人から繰り出されるお互いの貶しあいとキモエピソードのバランスが絶妙で初回から遡って全て聞いてしまった。

今やラジオ番組はイベントを打つのがある種当たり前となっている。コロナ禍以降、ライブ配信も増えて参加ハードルが下がったのはとてもありがたい。
僕はオードリーのANN以外にもたくさんのラジオイベントを現地ないし配信で楽しんできた。
参加したのは東京ポッド許可局、佐久間宣行ANN0、CreepyNutsANN0、三四郎ANN0、マヂラブANN0、うなげろりん…(ANN0ばっか聴いてるなこの人…)
地方民にとってお酒飲みながらまったり見れる配信はとてもありがたいので今後もたくさん見ることになるだろう。

中学生の頃、背伸びして買ったiPodでタダで聴けるからとなんとなく出会ったくりぃむしちゅーのANNという番組がきっかけで僕は東京ドームにまで連れて行かれてしまった。
ラジオという媒体に関わるイベントであれ以上すごい光景はあるのだろうかと考えるが、僕はあって欲しいしあるに違いないと思っている。

僕の青春にいつでも寄り添い、変わらない時間に最高の夜をくれるラジオをこれからも愛していきたい。

ラジオよ永遠に…

お読みいただきありがとうございました。
お相手は折笠月光でした。


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