ボルダリングですか…。
先週末、オリンピックでスポーツクライミングを見ていたときの話である。
スポーツクライミングは凄いと思う。ボルダー部門を見ていたのだが、確保するべきポイントは明らかに少なく、しかもポイント自体もあるのかないのかわからない程小さい。
おまけに何だかツルツルに見える。すっごい滑るよ、と選手が言っても異論がないぐらい磨き上げられている。マジか…。
自分なら尻込みして、一歩も進めないような状況を打破していく選手達の姿に感動していた。
そんな訳で、僕はちょっと興奮しながらこの競技を見ていた。特に日本の安楽宙斗選手が、他の選手とは違うルートで進み銀メダルを手にしたときは感動もひとしおであった。「頑張れ」とか「あーっ」とかは多分、声に出して言っていただろう。
「ボルダリング、やってみればいいじゃん。」
不意に横で見ていた友人Mが言った。
「出た…。」
僕はそう思った。
確かにスポーツクライミングには感動したが、僕はやりたいとは一言も言ってない。
そんな気持ちは知らないであろうMは更に付け加えるのだ。
「やってみなよ。めちゃくちゃ面白いから。」
「出た…。」
再度、僕は思った。Mはいい奴だが、こういうところがある。彼は自分が知っていることをおすすめせずにはいられないのだ。僕はこう返した。
「いやー、でも高所恐怖症だからなあ…」
僕は本当に高所恐怖症である。
高いところは嫌いではない。但し、それは絶対的な安全性が担保されていることが条件である。安全性が手すりのみである観光地、例えば万座毛や東尋坊や鋸山の崖の端には極力近寄らないように決めている。足元が崩れない保証なんてどこにもないのだから…。
だから、保証のない場合は出来れば脚立にも登りたくない。脚立にも登りたくない人間が、わざわざ壁に登る必要性があるだろうか?
あろうことか、Mはこの主張を無視して続けた。
「確保するルートが決まっているから楽しいよ。次はどこに足を乗せ、どこを掴むかを考える。それが醍醐味だね。」
僕は戸惑いながらも、こう返した。
「しかも手先がすごく不器用だから、たぶん向いてないよ。」
僕は正真正銘、手先が不器用である。
図画工作の授業では絵画の成績は悪くなかったが、工作になると精度はガタ落ち。10段階で2という有り様だ。折り紙に至っては、40代半ばにして紙ヒコーキとやっこさんしか折れない。
あまりに手先が覚束ないので一時期「オボちゃん」という不名誉なあだ名まで付けられた。
おまけに不器用だけにとどまらず、左手の握力は女子中学生ぐらいしかない。
あろうことか、Mはこの主張も無視してこう続けるのだ。
「スポーツだけどそれ以上に、マネジメントなんだよね。工夫して前に進んで行く。それを達成したときに得られる喜びは得難いものがあるよ。」
こいつ、耳掃除してんのかな?僕は本気でそう思った。聞こえてないんじゃないかと。
マネジメント…?ふざけてんのか?
僕は普段、色々なことをマネジメントする職業をしている。何の因果で休みの日まで高所恐怖症と手先の不器用という致命的なハンディキャップを背負って、壁を登るルートのマネジメントをしなければいけないのか?
しかし、こうも考えた。
出来るか出来ないかはやってみないとわからない。いつからだろう、言い訳ばかり上手くなり挑戦をやめたのは…。敗色濃い難敵にこそ、全身全霊の力を持って臨む。そういうものだろ、ハンターってのは。
僕は意を決してMに伝えた。
僕「わかった。じゃあやってみるわ。次、いつ空いてる?」
M「あー、俺はやめたよ。限界が見えたから。」
僕「……………」
オマエ、何やねん!!
※ちなみにMは今ボルダリングをやめ、SUPに夢中である。